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「トップの引き際」論考

潔さでは石橋湛山

武士道に根付く死に際の美学

 「退陣表明」したはずの菅直人首相が、野党はもとより与党幹部の間でも高まる早期退陣圧力をかわしながら、居座りを続けている。

 確かに、自民、公明などが提出した内閣不信任決議案の採決の直前、鳩山由紀夫前首相と交わした「確認事項」や、党代議士会での発言(「この大震災に取り組む、このことが一定のめどがついた段階で、若い世代の皆さんに、いろいろな責任を引き継いでいただきたい」)には、どこにも「辞任」とか「退陣」という言葉は出てこない。明確な退陣時期への言及もない。それゆえ、「俺は退陣の『た』の字も言っていませんよ」と尻をまくっても、理屈の上では通ってしまう。

 しかし、ここは相手をやり込める(論破する、言質を取る)ことだけを目的とする左翼学生の論争の場ではないのだ。国民が注視する国政の現場であって、菅首相は一国の宰相に他ならない。その場しのぎの言い逃れが許されるはずはない。

 自民・公明などの不信任決議案に、与党内の小沢(一郎)グループや鳩山前首相の周辺が同調する動きを見せ、政権崩壊、党分裂の危機に直面するなかで発信された、首相のあのメッセージによって党内の反菅勢力は矛先を収め、不信任決議案は大差で否決されることになった。この政治状況は、菅首相が近く退陣するという意向を表明したとの前提で生まれた。あの場面、あの状況での菅首相の言動は、政治的にみると退陣表明としかいいようがないのであって、いくら理屈をこねても、それを無かったことにはできない。

 どんな集団であってもトップに登りつめるのは簡単ではない。それが一国の最高権力を握る宰相であればなおさらだ。しかし、天の時を得て首相になっても、そこで誰もが認める実績を上げるかどうかはまた別問題だ。その地位の重みはなった人間でなければ分からない。いくら外相や蔵相や官房長官など国務大臣として実績をつんでも、野党のリーダーとして名を馳せても、その時にふさわしい宰相となれるかどうかは、ふたを開けてみなければ分からない。

 さらに難しいのが引き際だ。首相として功なり名を遂げても、それを美しく見せるか醜く見せるかは、その辞め方にかかっている。往生際が悪いという言葉があるが、武士道の伝統があるわが国では死に際を如何に美しくするかが、人間としての価値を図る重要な尺度でもあったはずだ。

 竹下登元首相は、自らの進退問題について「もののふ(武士)の進退は、ある日あるとき突如として決すべきものであり、ひとたび言の葉にのぼれば威令これ行えなくなる」と語っていたという。もともとは、政治的な師匠である佐藤栄作元首相の言葉だというが、いったん退陣意思が明らかになると、政治的な求心力を急激に失ってしまう現実を踏まえてはいるが、武士道の精神がその背景にあることは明らかだろう。

 ところが、その佐藤元首相の引き際は、言葉ほどすっきりしたものではなかった。後にノーベル平和賞に輝く沖縄返還(1972年)を成し遂げ、戦後最長在任記録(2798日、約7年8カ月)を誇ってはいるが、返還協定の調印と国会承認(1971年)後は長期政権に対する倦怠感と求心力の低下が顕著になり、マスコミ(特に新聞)への不満が爆発。返還式典から1カ月後の退任会見(1972年6月)は、記者を排除してテレビカメラに向かって行う異常なものとなり、後継者と目した福田赳夫と田中角栄との調整も行えないほど政治力が低下していた。

 佐藤から政治を学んだ竹下登も、経世会という磐石の支持基盤を背景にして、一内閣一仕事という持論の通り、大平正芳や中曽根康弘が目指しながらも頓挫した税制改革(新型間接税=消費税=の導入)を実現させたが、折からのリクルート事件による政治不信の嵐が吹き荒れる中で、1998年4月、平成元年度予算成立後の退陣を表明せざるを得なくなり、同年6月2日に正式退陣した。

 引き際の見事さで、現在まで語り草になっているのが、病気のため就任後わずか2カ月で辞任を余儀なくされた石橋湛山だ。石橋は第二次大戦前、ジャーナリストとして軍事力を背景とした日本の対外膨張主義(大日本主義)を批判し、軍事力でなく、互いに主権を尊重する自由貿易主義、経済中心主義の「小日本主義」を唱えた。敗戦直後には、日本が経済大国になってよみがえることを予言し、その後、政治家に転身。第一次吉田茂内閣でいきなり蔵相に抜擢された。

 石橋が首相の座に着いたのは、鳩山首相が日ソ国交正常化に身も心も燃やし尽くして退陣した後、保守合同後の自民党で熾烈な総裁選挙(昭和31=1956=年)を勝ち抜いてからだった。だが、組閣後わずか1カ月で病に倒れ、病床で辞意の書簡を認めた。「…予算審議に一日も出席できないことが明らかになりました以上は、…進退を決すべきだと考えました。私の政治的良心に従います」野党からも「政治家はかくありたい」との声がでたという。

(敬称略)