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小さな町の「大きな夢」物語(上)

人は私利私欲を捨てられる

より大きな存在が人を動かす

鳥取・智頭町長 寺谷誠一郎氏に聞く

 過疎問題どころか限界集落多発の時代に、活力がみなぎる町づくりに成功しつつある所がある。町の全面積の93%を森林が占める田舎町の良さをアピールしながら、観光の目玉造りに成功し、過去の栄光を懐かしがるだけで、積極的な生き方をしようとしない町民を前を向かせることも可能にした。最初は笛吹けど踊らずで、孤独な闘いを強いられたという歩みを鳥取県智頭町の寺谷誠一郎町長が語った。(写真提供・智頭町役場)


女パワーを取り込め

 僕はこれまでの人生で、女性の意見をいれるとうまくいくことに気がついた。

 ひとりは家内だ。平成9年に初めて町長に出馬した時、いい加減な出方だった。

 現職町長と議長の両方がやるといってちっちゃな町をまっ二つに割った。僕はぜんぜんそんな気もないし、議長側でも町長側でもないし、他人の醒めた目で、ちっちゃい町で切った張ったをやってもねーとぐらいのことだった。

 ところが変な風が吹き込んできて、カーテンからひょっと顔を出したら抜けられなくなった。

 それであと4カ月前ということで、出馬となった。2人よりも3人のほうが小さい町だから、喧嘩が3分の1に減るからいいやという、それぐらいの気持ちだ。

 それでひとつ上の醤油屋の若旦那が応援してくれて、もう遊びだった。もちろん落ちるのだからと。

 いい加減にへらへらしていた。

 見かねた家内からある時、「いい加減にしてください」と説教を食らった。

 「落ちるのはわかっているけど、もっとまじめにやってよ。まじめにやらないと町民に失礼でしょう。みんなあんたが当選するなんて誰も思っていない。でも、同じやるなら一生懸命しないとだめ。今日から、私がついて回ります」

 一方的に宣言された。

空き家にも深々と頭を下げる

 彼女が回ると、空き家であろうが、ここは誰もいないといっても、深々と頭を下げ「お願いします」と言って、一軒、一軒、回る。こちらも仕方なく、醤油屋の若旦那と一緒に、面白くねえなと言いながらもついて回った。

 ところが何が起きたかというと、寺谷の陣営の奥さんは、空き家だろうが主人のために頭を深々と下げてお願いに回っているといううわさが広がった。小さな町だから、うわさはすぐ回る。

 それで票を開いてみたら、現職の町長と議長よりも私のほうが多くとった。 当時は私は、奥さんのためにでた。最初からやる気などなく、遊びですから。ところが、なってしまったらしょうがない。どうせやるなら東京とか大阪とかの向こうをはれるものはないか。刀では通用しない。ミサイルでも通用しない。もっとなんかドカーンとすごいものはないかなーと思った。駅前に5階建てのビルを建てて、東京や大阪に向かってどうやといっても、馬鹿扱いされるのがおちだ。

 空気、水といっても、北海道や長野に行けば、もっときれいなところは一杯ある。なにか武器はないかなと思った時に、ふっと思ったのは、5階建てビルと反対のものがあった。

 智頭町は93パーセントが森だ。それで昔はものすごく裕福だった。林業がいいときには、それこそ鳥取県でもダントツのトップランナーで羽振りはよかった。非常に閉鎖的、よそ様の世話になる必要がない。

町のお宝、石谷家

picture 6年に一度開かれる柱祭りで神木が「石谷家住宅」の前を通る=鳥取県智頭町

 ところが50年育てて、杉の木が大根一本(体積当たり)と同じ150円だ。外材に押されて、みんなやっていられない。

 町民は昔の栄光にしがみつくだけ、昔はよかったと。ただ、今どうするか考えない。

 ところがビルの反対、日本の山林王の五本の指に入る石谷家という大きなお屋敷がある。これは町民なんかが入ることができない。庄屋みたいなものだが、町民は家の中がどうなっているか知らない。家の中に神社というか結婚式ができる部屋がある。7つある土蔵はいろいろあって、2つは国宝級の屏風とか無造作に入っている。陶器なんかも別の蔵に入っている。

 私がビルがだめなら、これでいこうと思った。根が単純ですから。

 これを一般公開して閉鎖的なこの町を、京阪神、大阪とか京都から、いろんな人が見に来て、これを核にして町づくりする。この一般公開を石谷家に断りもなしに発表した。

 町民はあきれかえって、町長は単なる馬鹿と違うかと本当に思ったという人は少なくなかった。

 当時、言われたのは「ほら吹き町長」「大風呂敷」、そりゃそうですよ。断りもなしに、あれを核にして町づくりを敢行しますというのだから。

 それで石谷家にお目通りとなった。さあ、これを核に町づくりをしたいというのをどういったらいいか迷った。

 「一般公開をお願いします」と平身低頭して言うのか。どうせ断られるなら、やけくそでいくか。どっちがいいか迷いに迷って、結局、やけくそをとった。

 それで最初に家主に通されたとき、開口一番、「この館を出て行っていただきたい」とシャーシャーと言った。

 今だったら、とれも言えないことを言った。

 すると相手は「馬鹿なことをいうんじゃない。ここは私の家だよ。何で私が出て行かないといけないんだ。ふざけるな。もう二度と会わない」

 それでいくらアポを取ろうとしても、会わしてくれない。

 ところが、そんな話はすぐ伝わる。いいかげんにしろ。お殿様に怒られたと言ってね。

 まあ、いいやとは思ったが、これで4年間持つかなという心配はあった。

歴史の影に女あり

 ところが、ここでまた女性が出てくる。このお屋敷は広くて、塀なんかも延々と続いている。どうせまた、番頭のやつがだめというのは分かっているけど、ともかく通い続けた。

 それこそ、それしかすることがないんですから。

 するとちょうど、門の前で、奥様とばたっと会った。

 すると奥様は「町長も大変ね。一所懸命やっているのにねー」と他人事ですよ。

 そのときに、道路でばたっと会ったものだから、「奥様、町民も見たことがないし、せめて5日間ぐらい、いろんな人に大きなお屋敷の中を一般公開してほしい」と言った。

 すると「あ、そう。ちょっと待ってね」といって、「あなた」と門の向こうに言った。

 すると、あなたが出てきた。

 「あなた。いいじゃありません。町長も一所懸命なのだから。たった5日ぐらい、いいじゃありません」

 すると「いいよ」だ。

 これですよ。男なんてちょろいものだ。

貴重な外からの目

背を向けていた老人も前向きに

「勝手にする」と捨て台詞

 それでびっくりして、役場に帰って、課長以上、緊急に集まれと集合をかけた。

 「今、5日間、お許しが出た。さあー、君たち、どうしたらいい」と聞いた。

 「まず無料であのお屋敷を見てもらうのは、石谷家に失礼だ。入場料、どのくらい取ったらいいと思う」と言うと、みんな醒めている。

 「町長、入場料とって人はくるんですか」

 そうかなあーと、心配になる。

 「何人ぐらいくる」と聞くと「さー、千人かなー」とか課長級は全員誰も、ぜんぜん乗ってこない。

 観光なんてあまり関心がない。もともと閉鎖的なところだから、誰も関心がない。

 頭にきて、「もういい。お前たちと相談しない。勝手にする」と捨て台詞をはいて、入場料800円、さらに抹茶で優雅に接待して500円と決めた。

 それでいよいよ、当日がきた。心配だから早めに出かけると、町が異様な空気になっていた。

 京阪神の車、車、車、それに電車から人が降りてくる。お屋敷にはものすごい人が並んでいる。

 そこまで想像していなかったもので、タバコの灰皿もトレイも用意していない。

 結局、5日間でむちゃくちゃに回転させても1万5000人ぐらいしか入れなかった。

 帰った人は何万人ですよ。

 それから一夜にして英雄になった。

 「あいつはすごいことをやった」

 もっとすごいのは当主が、後日、町長に会いたいと言ってきた。

 行くと、「君がいう町づくりは、こういうことだったのか」と「自分の屋敷がこんなに人様に喜んでもらうなんて考えてもみなかった」

 なんて言ったと思います。

 「わかった。屋敷と土地、そっくり町に寄付する」

 こっちも腰が抜けるほどたまげた。

 「蔵もいいですか」と聞くと「2つだけは勘弁してくれ。宝物が入っているから」という。

 あとは池の鯉から全部だ。

 それで役場に帰って、再び集合をかけた。

 でも、みんな浮かない顔をしている。お前たちどうしたのというと、「あんなものもらったら、台風がきて瓦が飛んだら、どうします」と聞く。

 「中途半端なお金じゃ直せませんよ。迷惑ですよ。塀が倒れたらどうするのか」という否定的なことばかりだった。

1万円で財団づくり

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智頭町航空写真

 また財団をつくって、それで運営するしかないでしょうねという。

 「財団を作るにはどうしたらいいの」と聞くと、「お金をだして手続きすればいい」ということだった。

 金を出してくれというと、金はないと言う。

 「うちにはそんな金、一銭もありません」と連れない。

 「どうしたらいい」「まあ、銀行から寄付してもらうしかない」と言う。

 こちらも分からないから、ようし分かった。銀行にかけあってくる。といって鳥取銀行というのがあって、智頭支店がある。また、山陰合同銀行という支店がある。

 まず、頭取に会いにいった。

 片山知事、今は総務大臣になっている。これだといって知事に会いに、すっ飛んでいって、「石谷家をもらったから見にきてほしい。ただし奥さんと同伴で」と頼んだ。

 日曜日に来てもらった。石谷家の当主と奥様にいてもらって、家を見てもらう。お茶を出されたときに、知事の奥さんに、これだけのお屋敷を鳥取県の迎賓館にして、外国の要人がきたら、全部この屋敷に送り込んでもらって、私が茶坊主でお茶を立てて接待して、そういう風にしたらいいですよね」といったら、夫人は「いいわねーそれ。あなたいいわね」といって、また、「アナタ」ですよ。

 そしたら知事が平井さんが知事になっているが、当時の総務部長が一生懸命やってくれた。

 それで財団を作るのに、県としては智頭町だけに出すわけにはいかん。帯同というので、隣町にいって、出資させろ。3つ組んでもらうと、県が出せる。いくらでもいいのかと聞くと、いくらでもいいという。

 「たとえば100万とか500万?」

 「いいや1万円でもいい」

 「1万円?」

 それで隣町まで行って「おい町長、1万円だせ。何かよく分からないけど、1万円だせ」

 それで財団を作った。そこから町が大ブレイクしはじめた。本当に門が開いた。いろんな人が見に来る。ボランティアでガイドしよう。朝、掃除しよう。「おはよう」を言おう。挨拶運動をしよう。いままで、封建的で閉鎖的だった町が、門が開け放ったように、町が変わってきて。

 それで観光カリスマになれたのは、そうした町の活性化させたことが評価された。

 しかし、それは私の力ではない。奥さんだ。奥さんが「あなた」と言ってくれなきゃ、一歩もすすまなかった。いつまでもそれは忘れることはできない。

 「まさに最大の恩人だ。すごい」

 悪く言う人も出てきた。あれだけのお屋敷を維持するのは大変だ。ところが当主は、おなたが困らないように、約一億かけて、シロアリとか全部調べさせた。

 だから「裏山に50年ものの木が10町歩ある。これをつける。もし瓦が傷んだり、塀がいたんだら、それらの木を切って使いなさい」

 そんな人、日本にいますか。私利私欲なしだ。

 「こんなもので人様に喜んでもらうとは思わなかった。この館に、人様に喜んでもらう第2の人生を歩ませたい。よって寄付する」

 それで、巻物も300本ほど、持って帰れという。

 「もし重要文化財だったらどうするのですか」

 いや私には分からないから。勝手にすればいい。

森の幼稚園で自立心と協調性養う

再発見した「足下の宝」

園舎のない森の幼稚園

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森の幼稚園で遊ぶ園児たち=鳥取県智頭町

 あるとき、東京からお嫁さんが来た。それで智頭を見て、うれしいと言う。こんなところで子どもを育てるのは最高だと言う。

 地元の人は、くそくらえでしょう。ゼニにならんといって、みんなお尻をむけているのだから。

 「こんな所で子ども育てたら、すごいね」と言っても「大きなお世話さん」という反応だ。

 ところが、すごいことを言うなと思ったのは、100人委員会の中に入っている。

 角度が違うのだなと思った。それで、ばたばたとすこし煽った。もっと言え、もっと言えと。

 段々、それが広がって、予算をつける。森の幼稚園をつくろう。園舎のない、狸や狐が遊んでいるから、人間が山に入らない。枝打ちもしないし、間伐もしない。するとどの山も森が暗い。

 すると草も生えてこない。動物が食べるものがない。だから里に出てくるという状況だ。

 狐さんや狸が暴れまくっているから、すこしバックしろ。うちの子供たちを放し飼いにするから、一緒に遊んでやってくれ。そういうイメージで。それをやった途端、大阪とか神戸とか、智頭町というところは、子どもたちを放し飼いにしているというだけなのだが、県会議員がテレビを連れてきたり、ものすごいブームになった。

 地元の人があきれかえるくらいだった。どうしてこんなことが起きるの、といった感じだ。

 子どもたちの力というのはすごい。町民も山に目を向けだした。なんということはない。雨が降っても雪が降っても、それから、これをしてはいけないとか絶対、言わない。子どもがなすままに。それでも一回も怪我していない。

 山の蔓(かずら)に抱きついて、子どもはターザンになった気分で、ヤッホーとなる。見るほうが怖いとなっても、子どもは落ちない。小さい子は、石垣も最初は上れないけど、お兄ちゃんのまねをして、あっという間にうまく登っていくようになる。

 それでたまたま、林野庁長官に会ったときに、冗談で民主党はCO2を25%削減と言っているけど、もう遅い。智頭町は、小さい町だが、地球を救うレンジャー部隊を投入してますよ。黄レンジャー、赤レンジャーとか。

 そうしたら本当に問い合わせがある。ここに住んで教育したいという人も出てきている。

 なんと言うことはない。要するに、ほうったらかしですから。

 智頭の山はすべて知り尽くしていると自認する80過ぎの爺さんは、子どもたちが入る山のマムシ退治に乗り出してくれた。さらに他の爺さんは、子どもたちがしばしば使う丸木橋が腐り始めているとして、山から木を切り倒して新しい丸木橋を作ってくれたりした。町人が総力を挙げて、「森の幼稚園」を盛り立てていこうといった機運が出てきた。

 結局、外から来た人が智頭の大自然を評価したことで、灯台下暮らしではないが、見向きもしなかった「足下の宝」に気づいた。


取材メモ 寺谷町長は、前に座るやいなや上着を取り、腕をまくり、ネクタイを緩めた。これだけで熱意は十分伝わってくる。スムーズな動きを見ると、町長はいつもこうした話し方をするらしい。昭和18年生まれ。成城大学経済学部卒業。株式会社光南代表取締役などを経て鳥取青年会議所理事長や鳥取県智頭町森林組合理事、智頭町教育委員など歴任。過疎地を観光地に変えた実績から観光庁から観光カリスマにも選定される。