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女児誘拐殺人事件 「県警捜査一課長」懐古録1

「タマを三日で挙げよう。ええな!」

犯人逮捕への執念が気概に

 200×年×月×日に日付が変わってほどなく、その忌むべき第一報が飛び込んできた――。『少女の遺体を発見!』。前日夕刻より捜索願が出されていた少女だった――。“最悪の事態が起きた…”、第一報を聞いたすべての捜査官は、こう思ったという。実際にそうなった。そして、道端に遺棄された無残な少女の遺体を見て、すべての捜査官は、悔しさと犯人への憎悪に憤怒の涙を流した。全国市民を恐怖のドン底にたたき落とした、“××女児誘拐殺人事件”――。その時から、××県警察本部全体の執念の捜査が開始された。


 『憎むべきタマ(犯人)に年を越させたら、あかん!』。

 ××県警察本部××中央署に設置された帳場(捜査本部)は、犯人逮捕の執念の炎と化していた。

 その炎の中心に、××県警捜査一課長(当時)、Z氏は直立不動の姿勢で、毅然と立っていた――。

 年の瀬が迫っていた。正月に向けて、世間は慌ただしく動いている時期である。

 事件発生から、1カ月半近くが経過していた。帳場が置かれている××中央署地下一階の研修所と呼ばれるホールに、十数人のデカ(刑事)がいた。そこにいるのは、確かに猛者(もさ)ばかりだった。

 彼らは、この数十日、文字通り、不眠不休でタマ(犯人)を追いかけてきた。皆の疲労はピークに達していた。

 しかし、その時、そこにいたデカ達の眼はなぜか、ギラギラと底光りしていたという。

“心のスクラム”組んで

――なぜですか? 捜査も長引き、皆さんその時は間違いなく、心底から疲れ切っていたはずです。

 実はですね、その時初めて有力なタマのめどがついたんです(※実際に、その容疑者が、真犯人となった)。

 事件発生から40日近く経過していました。帳場の疲れは、そりゃ頂点に達していました。

 それでもね、事件の、憎むべき事件の犯人のめどが立ったら、そんな疲れなど吹き飛んでしまうんですわ。だから、そこにいたみんなの眼は異様に輝いていたんですわ。

 そこで、私は、帳場にいた者みんなを一同に集めて、こう言いました。

 『ええか?年明けまでもう三日しかあらへん。このタマをこの三日で絶対に挙げよう(逮捕しよう)やないか! できるな! ええな!』

 そこにいるみんな、その時の私のそんなかけ声に、一声一声、『おう!』、と応えてくれたんです。帳場全体の心がひとつになった瞬間でした。

 あの時の我らの“心のスクラム”は、私は、一生忘れることができません。

――しかし、いくらめどが立ったといっても、それを固めて、僅か三日で逮捕までもっていくというのは、余りに時間がない、どうにも現実的じゃないようにも思えます。

 普通やったらそう思うのも、また思われるのも当然かもしれません。

 けど、あの時の私たちはそんなことまったく考えませんでしたし、躊躇する者はおらんかったですね。帳場が立って(【※捜査本部が設けられて】)最初に誓った、『年内には解決させる』という思いを果たそうと、それはできる、とみんなが信じていました。

 それまで浮かび上がってこなかった、まったく新しいところから出てきた容疑者を、三日で(容疑を)固めて、逮捕するというのは、確かに現実性が薄い話かもしれません。捜査の常道から言うと無謀とも取られかねないような話かもしれない。

 しかし、そこは、私たちの犯人逮捕に賭ける執念が、そんな難局をも乗り越えられる気概に化けたんやね。その気概が、私の呼びかけに応じた、雄叫びになったんですね。

 あの夜の“野郎ども”の雄叫びは、今でも耳にこびりついてとれません。あの時私はこうも言いました。『これまでも寝とらん(寝ていない)。もう三日、寝んで(寝ないで)、がんばろうやないか!』こう言うて、不平を言うような者は誰一人おりませんでした。もう帳場全体が、事件解決の執念に燃え上がっていたんですね。今思っても、あの時の執念がもたらせた、なんというか、“勢い”というのは、ものすごい。なんやこう、体全体が震えるような思いにさせられる“何か”に満ちていました。人間の持つ底力の凄さに今でも心が震えますね。

――その結果、誓った通り、その年終わりに犯人の逮捕を見ます。その時、Zさんは、捜査一課長としては異例の記者会見に臨んだそうですね。

 そうなんです。

 捜査一課長は、通常は犯人逮捕の記者会見には出ないことの方が多い。その時も、私は(会見に出るのを)一度は断りました。

 『(会見に)出て、あれこれ言うのは、わしのガラじゃない』そういって断りました。そうしたら、(県警本部の)刑事部長が、こんなことを言いました。

 『あんた(Z氏)が出ないで、誰が(事件のことを)言うんや。組織で(逮捕を)したんや、(記者会見に出ることも)組織からの命令と思ってくれ』。

“伝説”となった会見

――“伝説”となった会見

 組織としての命令やったら、それに抗うわけにはいきません、また抗う理由もありません。(県警本部刑事)部長が言うように、確かにこの逮捕は、組織全体で成し遂げたことです。(記者会見に)出ました。

 場所は、××中央署二階です。記者は100名近くいました。大きな会見です。

 そこで、まず最初に私に質問が飛んできたのです。

 『まさしく電撃的な犯人逮捕ですが、何が直接的原因となったのですか?』

 記者はもっと違った答え、例えば、どんな証拠物が出てきて、それが犯人逮捕の決め手になったのか、そんなことを聞きたかったのかもしれません。

 しかし、私は、すかさず、こう言うたんです。何も考えずに、まっさらな思いでこんな言葉が自然と口に出てきました。

 『××県警全体の執念です!』

 居並ぶ記者は、一瞬水を打ったようにシーンとなりました。荒くれで鳴らす社会部記者達も、さすがに二の句が継げないようでした。

――その時の記者会見は、今や“伝説”にもなっています。

 この瞬間の叫びは、実は、今でも私のなかに息づいています。

 デカ人生を歩んできて、この事件解決への執念は常に私の体の真ん中を脈々と流れているのです。

――執念が、さまざまな難局を乗り越えさせ、そのうえで達成した逮捕、事件解決だったわけですね。

 そうですわ。

 それも、あの時は××県警全体、全員が持っていた執念でした。だから、今でも忘れられないのです。

 帳場のデカだけでなく、あの時は、警備、警務、そのほかすべての(県警)職員が、確かに一丸となっていました。驚くべきことです。

 事件発生から、初動の時期を経て、解決まで、消して短くない時間を要したわけです。そうなると、やっぱり人間ですから、最初の頃には燃え上がっていた(事件解決への)執念も萎んでしまう。そう長い間、緊張の糸を張っておけるほど、人間の精神力は強くないのです。

 しかし、あの時の帳場を中心とした県警全体は、違っていました。時間が経つに連れ緩んでいく精神の糸が、あの時は逆に、(時が経つに連れ)ピンと張っていくような感じでした。

 そのようなケースは、あるようでいて、実はそうそうありはしないのです。私も三十年近いデカ人生を送ってきましたが、あんな(県警)本部が、一塊(ひとかたまり)になって、事件に臨見、そして、解決した、という例は、そうそう経験していません。

 しかし、そういう奇跡に近い体勢が出来上がったとき、それはどのような難事件でも解決できるんや、それを体得しました。それはあの事件に臨んだ帳場はじめ県警本部全体の職員が得た貴重な刑事としての体感だったと思います。

無残な被害者に涙

――その時の記者会見の記者ではありませんが、“何が”そこまで帳場をはじめ、県警本部全体を燃え上がらせたのでしょうか?

 それは探せばいくつかの要因はあると思います。

 が、なかでも大きいのは、事件発生時に現場で見た被害者の無残な姿だったと思うのです。あの道端に、襤褸(らんる。ボロ)の如く捨てられていた被害者に、すべての捜査官は涙しました。

 今でも、あの事件現場に行くとき、我らは皆、溢れてくる涙を抑えることができません。

 そのうえ、そんな被害者の姿を写し、それをこともあろうに、肉親に送りつける犯人の狂気…。

 そのすべてに、大げさでなく帳場をはじめ県警全体が、怒りの炎をなったのです。その炎は文字通り、怒髪天を突きました。捜査というものは、まさしく生き物です。私は経験上、すべての捜査員に伝えたい。事件解決への燃え上がるような執念、それに勢いを自分のなかから掴み出せ、と。

 その動機は、あるときは、憎しみ、あるいは怒り、あるときは悲しみ、それらが輻輳することでしょう。やがてそれは、ひとつの執念の炎となっていく。その炎の大きさが、事件解決の最大の鍵となるのです。

 私は、常に捜査員に言っていました。

 『ええか、ガイシャ(被害者)は、すべて自分の身内、肉親と思え!』と。

 そう思ったとき、その捜査員は、捜査の鬼となって、事件に立ち向かうようになるのです。私自身、いつもそう思っていました。そうして自分の執念を奮い立たせていたのです。

 あの事件では、それは過酷な捜査も(捜査員には)強いました。

 例えば…。

 今だからこそ言えますが、事件現場にある小さな物置小屋。そうですね、その小屋は、一坪くらいでしょうか、トタン製の質素な小屋です。中は農機具なんかがつまっています。物置小屋ですから、人が暮らすわけでもないため、むろんのこと建付は悪い。当然、すきま風が吹き抜けます。

 その小屋に、一晩中、捜査員は張り込むのです。犯人が夜中にやってきて、重要な証拠品である携帯電話(※本件ではその携帯電話が、事件の大きな鍵を握っていたのだ)を、捨てにくるかもしれん。その可能性は確かにある。それをされたら逆にわれわれは捜査に大きなダメージが出る。いつの間にか捨てられていました、それでは捜査官として直ちに失格です。いうまでもなく致命的な失策なのです。

 だから、ひとときも現場を離れずに張り込むんです。古今東西いわれている犯人は現場に戻ってくる、というのは、多くの実例から実証済みなんですわ。だからその時も、ひとしきり寒い晩も、来る日も来る日も捜査員はそこに張り込むのです。

 本件は、11月の半ばから、大晦日の前日まで続きました。一番寒い時期です。事件現場は、ただでさえ寒いといわれる奈良県下でも、とりわけ寒さが身に沁みる地域なのです。そんな地域の片隅に立つ物置小屋で捜査員は張り込むのです。あの寒さのなですから実は一時間もいると、叫び出したくなるような思いにさせられるんですわ。

 寒さと暗さとでね。

 それを一晩中です。

 もうそれは想像を超える過酷なる張り込み捜査です。一晩が過ぎたとき、その捜査員はどうなっとるか判りますか?

 眉毛の下になんと、夜露が溜っとるんですわ(!)。

 それでも、捜査員はつらいとも、寒いとも言いよらん(言わない)。

 “もしかしたら、5分後に、あるいは10分後に犯人が現場に舞い戻ってくるかもしれない。いや、戻ってくるに違いない”、この思いが、捜査員に(張り込みの)辛さを忘れさせるんです。

 捜査には無駄などということはひとつもありません。この努力の積み重ねがやがて犯人を割り出し、犯人逮捕となるのです。

――あらゆる観点から事件にアプローチするわけですね。すると、大事にすべきことも、あらゆるところに点在するということになりますね。

 そういうことです。私は特に“現場”という場所に強いこだわりを持っています。現場こそ、宝の山、まさしく事件を解決に導くための“証拠”、“微物(びぶつ)”の宝庫です。

 だから、私はいつも捜査員に言っています。

 『現場に臨むときは、常にふたつの手袋を用意しておけ』とね。

 これには、現場の保持という以外にも、ある意味が隠されているのです。捜査の現場になれていない人も(現場に)入ることがあります。

 そういう人はさわってはいけないものにさわるなど、いわば宝の山である現場を台無しにすることもある。実際、そういうこともありました。

 そういう人がやむを得ずに現場に入ってきたときのために、自分が使う手袋以外にもうひとつの手袋を用意しておけ、というのです。

 それほど現場というものは最重要で、尚かつデリケートなものなのです。