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ポスト菅に何が求められるか

政治の要諦は「信」

言行一致を旨とせよ

 退陣を表明したはずの菅直人首相だが、いっこうに辞任する気配がない。それどころか、サッカー女子ワールドカップ(W杯)ドイツ大会での日本代表の初優勝について称賛した上で、「私もやるべきことがある限り、諦めないで頑張りたい」と言うのだ。しかし、その願いとは裏腹に、「菅降ろし」の環境は厳しさを増しており、ポスト菅候補を模索する動きが水面下で活発化してきた。未曽有の国難に遭遇している中で、次期首相には何が求められるのか─。


   

 「信頼も信用もされない総理は何をやったって存在それ自体が政治空白だ」──。これは菅首相がかつての野党時代に言い放った言葉だ。それが今、各種世論調査で内閣支持率10%台にまで落ち込んでいる菅首相自身に、跳ね返ってきている。その原因を突き詰めて克服し、新たなビジョンで日本丸を率いることこそ次期首相に求められることだ。

 

 では支持率の下落が止まらない最大の原因は何か。「鳩山由紀夫前首相が菅首相のことをペテン師といったことに象徴されるように、立法の府のトップが語る言葉に国民が信頼を置けなくなってしまったことにある」と全国紙政治部記者は指摘する。

士は質実欺かざる

 6月2日の内閣不信任決議案採決の直前、民主党代議士会で首相が語った言葉は明らかに「一定のメド」がついた後の辞任表明だった。それを「私は一度も辞任を口にしたことはない」と開き直り、「一定のメド」のハードルを上げ続け、秋の外遊時の演説草稿の作成まで指示した。これでは延命のために周囲を欺いたと言っても過言ではあるまい。

 7月13日の首相官邸での記者会見でもそうだ。原子力を基幹に据えてきたこれまでの方針を「脱原発依存」に転換する考えを突然、表明した。首相としては得点稼ぎを狙ったのだろうが、退陣を表明した首相による重要政策の転換に与野党から批判が噴出した。その形勢が不利と見るや首相は「個人的見解だった」と弁明した。これでは首相が発言するたびに「それは公式見解かそれとも個人的見解か」と問わなければならないことになる。

 菅首相は今年の1月20日、幕末の志士・吉田松陰の言葉を引用し、「志士の尊ぶところ」について言及し、政治家としての覚悟を語った。自らを志士になぞらえてのものだが、全くの自己陶酔で松陰の捉える志士像とは余りにも隔たりが大きい。

 松陰は、松下村塾の規則とした「士規七則」の中で、「士の行は質実欺かざるを以て要と為し、巧詐過(あやまち)を文(かざ)るを以て恥と為す」と教えた。志士の行いは質実であることが望ましく、人を欺かないことを主要な柱とし、人を巧みにだましながらその過ちを取り繕うことは「恥」であると教えたのだ。ところが首相は、廉恥心などとは無縁のようだ。政治の要諦が「信」であることから、次期首相はまず言行一致を旨としなければならない。

延命工作だった「脱原発」

 松陰はまた、「志士は溝壑(こうがく)に在るを忘れず」という論語の言葉をよく使った。すなわち、志のある人物は、それを実現するために、溝や谷に落ちて屍をさらしても構わない覚悟で尽力するものだと塾生を諭していた。菅首相は昨年6月、自らの初内閣を「奇兵隊内閣」と呼び、松陰の弟子の高杉晋作を引き合いにして新内閣発足の記者会見で意気込みを語った。だが、松陰も高杉も同じ松下村塾の双璧と言われた久坂玄瑞も、「志」を実現するために、まさに命を掛けたのだ。

 首相はどうか。具体的な転換計画や総合エネルギー対策も示さず、「脱原発依存」を叫んでみたその動機は、単なる思い付きの得点稼ぎが狙いだったのだ。これは決して「志」でも何でもない。あくまでも政権の支持率アップと延命を図ったのは明らかである。もはや国民の大多数は「首相の座に居座り続けていることは政治空白の域を超えて実害を拡散させている」(野党中堅幹部)と考えている。従って、次期首相は政界の空気と国民の思いをしっかり見定めながら、「志」を断行する覚悟が必要である。

悪質な売国献金疑惑

 身辺の身ぎれいさも大切だ。首相は1月4日の年頭記者会見で「今年は『政治とカネ』の問題のけじめをつける年にしたい」と抱負を語った。この問題を抱える小沢一郎元代表との対決姿勢を鮮明にしたものだったが、現在は、自らの「政治とカネ」の問題で厳しく追及されている。

 「菅さんは民主党代表の時、国民年金の未払い問題追及の急先鋒となり、未納三兄弟などと他人を批判していたのだが、自分も未納だったことが発覚し代表辞任に追い込まれ、お遍路さんに出かけたことがあったが、その時と同じで情けない限りだ」と言うのは自民党幹部だ。

 しかし、今回明らかになった資金疑惑は、その時と比べることのできないほど悪質な売国献金疑惑なのである。

 首相の資金管理団体が北朝鮮の対日工作と思われる団体に平成19~21年に6250万円を献金していたというのだ。その団体とは、北朝鮮による日本人拉致事件容疑者の長男が所属する政治団体「市民の党」(酒井剛代表)と関係の深い「政権交代をめざす市民の会」である。「市民の党」はこの4月の統一地方選の三鷹市議選候補に、よど号ハイジャック犯元リーダーの田宮高麿を父とし、欧州で松木薫さんと石岡亨さんを拉致した森順子を母とする森大志氏を擁立した。

大震災に紛れ込ませた返金

 菅首相はこの団体と30年来の深い関係があり、平成元年に、横田めぐみさんらの拉致実行犯、辛光洙らの釈放を求める要望書に署名したのも、その関係によるとの見方が強い。首相は7月7日の参院予算委員会で「政治的にいろいろな意味で、連携をすることによってプラスになると考えて寄付した」と開き直った答弁をしたが、そんなあいまいな答弁で許されるような事柄ではない。明らかに重大問題である。

 首相は「2010マニフェスト(政権公約)」で、「政治とカネによる政治不信を払拭できなかったことを率直にお詫びする」とし、「とことんクリーンな民主党」になるよう全力を挙げると述べたが、自らの資金疑惑の背景には、確信犯的な不純な動機があると強く推測せざるを得ない。また、民主党側から「市民の党」側に流れた資金は合計で8740万円に上ることも判明している。民主党自身が真の国民政党としての証左を示すためにも、朝鮮総連を通じた北朝鮮へのトンネル資金となったのか否かなども含め、ことの真相を明確にすべきである。

 3月に発覚した在日韓国人からの違法献金疑惑も未決着だ。首相は国会答弁で「すでに返金した」として涼しい顔を装っている。しかし、政治資金規正法は外国人からの献金を禁じており、故意や重い過失があった場合には、3年以下の禁錮か50万円以下の罰金という罰則がある。同じケースで前原誠司氏は外務大臣を辞任したが、大震災のドサクサに紛れて返金したからといって違法行為がなかったものとするというのはおかしい。

求められる強い外交

 哲学のある強い外交の確立も、次期首相に求められる重要な課題だ。その試金石となるのが、中国に対する政府開発援助(ODA)を大幅削減できるかどうかだろう。政府は現在、平成24年度予算の対中ODA額を42億5千万円とする方向で検討している。これは実質3億5千万円の減額にとどまっている。

 減額理由は東日本大震災復興の財源に当てるためだが、首相は「削減した分を将来的に何倍にも増やす」と言う。しかし、なぜ中国にそうした配慮をするのか。その背景にあるとされているのが、丹羽宇一郎駐中大使が尖閣諸島沖の中国漁船衝突事件後の関係改善のためにも「続けるべきだ」との強い主張だと言う。全く理不尽で哲学のない場当たり的なソロバン勘定に左右されたものだと断ぜざるを得ない。

 中国はすでに国内総生産(GDP)が世界第二位になっただけでなく、その経済力を背景にして軍備の増強が著しい。東シナ海における海洋権益の拡張には警戒すべき段階に入っている。

 その中で起きた昨年秋の尖閣諸島沖でのわが国の領海侵犯・違法操業・海上保安庁の巡視船への衝突事件は、明らかに中国側に非があるのだが、事実を捻じ曲げられながらも日本政府側は事勿れ主義を貫いている。

 「丹羽大使はどうして尖閣諸島沖事件の関係改善のためにODAの減額に反対したのか。全権大使とは日本の国益を主張する立場なのに中国側に媚びへつらっているのは何故か。ODAには常に利益を得る企業集団が日本側にいる。丹羽氏は伊藤忠商事で食料畑を歩み社長になったが、中国の利権絡みでさまざまな動きをしているとのうわさはかねてから消えない」(政界関係者)という。

商売人を外交に使うな

 企業の利益を優先させて外交をされたら国益を守ることなど不可能だ。商売人を外交の責任者にしておくことは国の針路を誤らせる恐れが出てくる。事実、丹羽氏の言動は経済優先の話ばかりだ。中国は今、世界中のレアアース(希土類)を買いあさって日本への輸出規制をかけたり、沖縄の米軍基地を射程に入れたミサイルを配備し先制攻撃戦略も策定済みである。外貨保有高世界一でもあり、アフリカ諸国にODAを出している中国にもはやODAを行う理由などないはずだ。

 米ホワイトハウスで7月16日、オバマ大統領とチベット仏教最高指導者ダライ・ラマ14世が会談し、中国によるチベット人に対する人権侵害などが問題視されたが、少なくとも人権問題の進捗度で金額を決めるなどの節度が求められよう。

 次期首相は、そうした外交原則を確立した上でのビジョンの提示が必要だ。これはロシアや韓国に対しても同様に求められる姿勢である。

国民新党との合意を守れ

 次期首相は、マニフェスト(政権公約)の大幅見直しにも積極的に取り組むべきだ。確かに、政権交代はマニフェストを掲げて実現したが、財政再建を埋蔵金や赤字国債でやり繰りし続けることはもはや誰の目にも不可能である。現在、与野党で歩み寄りを始めている予算規模が2兆2千億円にのぼる子ども手当の支給に所得制限を設けることは当然である。また、7月1日に決定された「社会保障と税の一体改革」の改革案も、消費税引き上げ時期を「2010年代半ばまで」とあいまいで、「経済状況の好転」との条件が付け加えられたが、「好転」の判断基準が示されておらず骨抜きの中身となっている。

 そもそも、消費税の導入など改革案自体の柱が間違っているのだが、その原因をたどっていくと首相の社会保障に対する構想理想が描かれていなかったことに行き着く。一体改革の目的は、少子高齢化に耐えうる社会保障の構築だったのだが、毎年1兆円を超すペースで増え続ける社会保障の自然増をバラまき政策を行いながら解消できるはずもない。

 昨年の臨時国会で最優先課題として速やかな成立を図るとしていながら、その後も店晒し状態を続けている「郵政改革法案」の成立にも全力を挙げなければならない。同法案の成立を1丁目1番地としている与党・国民新党と民主党は連立の際に交わした合意書に署名しているはずだ。それを後回しにし続けているのは、公党間の信義にもとる重大事である。

 菅政治によって失われてきたものは、「信」から生じる政治道徳はもとより、早急な対応が求められる内外諸政策に至るまで、余りに広範かつ深刻で傷は深い。

 国家の舵取りを新たに担う次期首相の責任は、かつてないほど大きく重たい。

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