トップページ >

女児誘拐殺人事件 「県警捜査一課長」懐古録2

今でも心が震える!

マスコミに漏れた〝真犯人〟

 あと数日で、その年は終わってしまう。忌まわしい女児誘拐殺害事件も、ついに年を越えるのか…。

 捜査員の間に、曰わく言い難い焦りともって行き場のない憤りが、渦巻く。

 その澱みは、年の瀬が近づくにつれてさらに色を濃くしていった。

 そのような時期に、いきなり浮かび上がった〝真犯人〟と目される人物。─帳場(捜査本部)全体を覆い尽くそうとしていた澱みは、その一報で一気に晴れたかに見えた。

 しかし、それも束の間。年の瀬はもうすぐそこまで迫ってきていた。

 越年、というのは捜査員だけでなく、誰においても一つの区切りを否応なく付けさせてしまう。物理的なのはいうまでもなく、それは精神的にも同じなのだ。

 だからせっかく、〝真犯人〟らしい人物が浮かび上がったにもかかわらず、カレンダーを眺めてそっとため息を吐く捜査員も少なからずいたのだ。

 Z捜査一課長(当時)は、そんな消沈した士気を鼓舞するために、驚くべき提案をした。

 それはZ氏が言うような、提案なんて生ぬるいものではなく、確かに、〝厳命〟だったという。

 どのような〝厳命〟だったのか。

 『年内に、ここで浮かび上がった〝タマ(真犯人)〟を逮捕せよ!』。

 これまで、捜査線上に浮かび上がってから数日で逮捕まで漕ぎ着けた例などほとんどない。数日で、その人物を〝真犯人〟と特定するまでには、ありとあらゆる条件を満たさなければならないからである。

 アリバイから始まって、秘密の暴露に関する情報まで、考えられる限りの証拠(物証だけでなく状況証拠)と情報を揃えなければ、逮捕には踏み切れない。

 〝真犯人〟らしい人物が浮かび上がってから、逮捕に踏み切るまで、いつだってそれなりの時間が経過しているのは、そんな血のにじむような捜査員らの努力があるからなのである。

 ここですべての条件を満たしておけば、いくら被疑者が否認しても、まず間違いなく起訴に至る。その後の公判にも堪えられる。

 そこに一点でも曇りがあると、あるいは(実際はそうでないのに)一点の曇りもないと言い切り無理に逮捕に踏み切ると、起訴にも無理が生じ、最悪の場合、『冤罪』を産んでしまうことになる。要するに、公判で、無罪の判決を出してしまうことになるのである。

 それは全面的な警察の敗北、である。その場合、誰かが実際に、〝クビ〟を差し出さなければ収まらない。それほど厳粛なものなのだ。

 手違い、などという言い訳が通用しないことは誰もが判るであろう。

 それほど警察の捜査というのは重要で、結局、その出来不出来は公判(判決)にまで影響してしまうのだ。

――しかしながら、その年の瀬まで幾ばくもない中で、よく、『年内に逮捕』というような〝厳命〟を下されましたね。 私も現実問題、無理かな、とは思ったんです。しかし、そのくらいの心意気で臨まないと、その時のドヨンと沈みきった帳場の空気は晴れない、と思ったんですわ。

 事件発生からその時は、すでに半年近く経過していましたからね。帳場だけでなく県警全体にも、世間からの非難の目や声が突き刺さってきていました。

 『あれほど惨いことをする犯人をどうして捕まえ切れないんや!』、『××県警は無能だ!』、そういう声の次に来るのは決まっています。

 そう、『税金泥棒!』です。

 あのとき、われわれはその罵声をどれだけ聞かされたか。ただね、別にそれがいやだから、あんな無理を言ったわけではありません。

 ひとつは、突然浮かび上がってきた〝タマ〟候補は、私から見ても、〝真犯人〟や、と感じたこと。まあ、これが一番大きいのですがね。

 付け加えるならば、二つ目に、その時の澱んだ空気をそのままにしておくと、この大きなヤマ(事件)は、お宮入り(迷宮入り)するだろう、という大きな懸念があった。だから、多少なりとも無茶と思われるような大胆な手を打つしかない、と思ったからなんです。

 世間の声というのはバカにならないのです。励ましは大きな大きな捜査上の支えになるけれど、逆に罵声は、一気に捜査員のやる気を霧消させてしまうんですわ。これは捜査員でないと判らない、とてもデリケートな心の機微です。

 よく考えて下さい。誰もが被害者の関係者だったら、犯人追及に必死になるでしょう。しかし、捜査員はそうではありません。そうでないから手を抜く、などと考えないで下さいよ。逆です。

 そうでないから、仕事として、いつもパーフェクトを求める。身内以上に犯人捜しに躍起になる。

 ところがその時、いわば応援団のような〝世間〟から罵声を浴びせられるような状態になったらどうでしょう。その時は一気に精神的な落ち込みとなって、やがては自分自身の存在意義すら疑い始めるようになるのです。

 捜査員の間にそんな空気が蔓延し始めたら、それこそ超強力なウイルスよりも強い伝播力で、すべての捜査員のやる気を殺いでしまう。

 そんなときは最後の答えは見えているのです。ズバリ、お宮入りか、冤罪、そのどっちかです。私は、他の警視庁も含めた都道府県警察本部においてそんな事例が発生したのを幾度となく見ている。

 だから、そんな空気を文字通り一変させなければならなかった。無理とは判っていても、やらねばならんかったんですわ。

――結局、それは見事に功を奏しました(前編参照)。奇跡的ともいえる形になったわけですが、それでもその最中に奇跡を断念せざるを得なくなるような思わぬ事態が持ち上がったのですね?

 そうなんです。

 あのときのことを思い返すと、いまでも心が震えますわ。

 実はですね、われわれの動きがどういうわけか、マスコミに知られ、ある新聞が12月29日に、『女児誘拐殺害事件に、今日、重大な動きがある』などという見出しをデカデカと掲げたんです。もちろん、そんな記事が出ることなどまったく知らない。寝耳に水の話でした。

 せっかく、みんなの士気がひとつになりかけ、〝タマ〟も確定できそうな時にこれが出たんでは、元も子もなくなってしまいます。

 それがまた運の悪いことに、〝真犯人〟と見ている人物は、その記事を見ている可能性が大、というか、100%見ているに違いないと思われるのです。そんな立場にあったわけですわ。

 この時私は、〝真犯人〟と目しているその人物が逃亡してしまう、と確信しました。もう、あかんのやないか、そんな弱気になったのです。仕方なく、見切り発車で、〝真犯人〟と目している人物を事情聴取することとしました。これはもう、捜査としてしくじったも同然の措置でした。

 あの記事がすべてを暗転させた、と思いました。

 ところが、です。

 ここでも奇跡が起きた。その記事を確かに〝真犯人〟は見たそうですが、いやこれは後になって分かったことですが、そこに書かれていることは自分とは無関係のことだと思ったそうです。

 実は、本人のことなのに、ですね。

 二回も三回もどんでん返しがあった挙げ句の逮捕。前回お話ししたようにその歓喜が、異例の記者会見に繋がったのです。

 結局、捜査員として、タマをあげる、このことに全力を尽くす、それがすべて、ということを改めてこの大きな事件解決においても痛感させられました。

 今でも、この事件のことを思うと万感迫るものがありますね、あらゆる意味で。また、被害者の冥福を心より祈っております。

 Z氏に捜査一課刑事としての魂の炎を見た(筆者)。