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タクシン元首相が来日講演

日本とタイ、ともに5年で6人の首相

これ以上、首相を多く作るな

 8月下旬に来日したタイのタクシン元首相は、日本とタイについて語り「タイの首相はこの5年で6人の首相が誕生した。日本もまもなく6人目の首相が誕生する。日本もタイも、これ以上あまり首相を多く作るべきではないと思う」と述べた。

「タイの正義を取り戻す」と復権にも意欲

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8月23日、東京神田の学士会館で講演するタクシン元首相

 東京・神田の学士会館で「今後のタイ情勢について」と題して講演したタクシン元首相は、日本とタイの類似点を強調した。

 タクシン元首相は「金融面においてどちらも流動性は高いものの、貸し渋り問題が起きている。銀行はローンを出して不良債権になるのが怖いからだ。金融と経済というのは、卵と鶏との関係に似ている。銀行は経済成長してくれればローンを出せると言うし、企業はローンを出してくれないと成長できないと言う」と前置きした上で「結局、経済というのは底辺から動かさないといけない。富裕層はただお金を溜め込むだけだが、貧しい人は消費に回すから経済が回りだす。経済を牽引するには、トップダウンでは不可能だ」と述べた。

 なお、タクシン支持派のタイ貢献党が今回の総選挙で圧勝したのは、国民にタクシン政権時代の郷愁があったからだ。「タクシン時代は、ワイロを払わなくても、商売ができた」と、庶民は、一定の評価をしている。これそこがタクシン人気の源だ。タクシンが警察に賄賂を払わなくても、自由にバイクタクシーをできるようにしたし、貧しい人も30バーツ(約80円)で医療が受けられるようにした。タイ新政権は、最低賃金を255バーツから300バーツに引き上げる方針だ。

 さらにタクシン元首相は、タイ日関係の実質的な強化を提言した。日本はエレクトロニクスで韓国に、自動車では中国の追い上げを受けている。だが、「アジアのデトロイト」と言われるほどタイの自動車産業集積は進んでいる。タイと組むことで、廉価で質の高い自動車を生産できるとして、ソフトを含めた日本からの技術移転で、日本の競争力を維持できると提案すると同時に、本格的な日タイEPA強化に率直な期待を表明した。

 また政治に関して「タイの首相はこの5年で6人の首相が誕生した。日本もまもなく6人目の首相が誕生する。日本もタイも、これ以上あまり首相を多く作るべきではないと思う」と述べると、会場は笑いに包まれた。

 そしてフロアから「タイに帰ったら、政治家になるのか財界人になるのか」との質問に対し、タクシン元首相は帰国できれば教鞭をとりたい。政治は十分やった。ただ、自分は(クーデターで)不公正に処分された。正義を取り戻したいとは思う」と述べた。

 発言を額面通り受け止めれば、しおらしい枯れたタクシン氏の帰国後の教鞭生活を思い描くことになるのだが、過去の言動を振り返れば、とてもおとなしく老後を教壇で過ごすなどとは考えられないのが実情だ。

 何よりタクシン元首相の「政治にかける執念」は半端ではない。

 これまでタイではクーデターが起きても「なーなー」の世界があったものだ。1991年に起きたクーデターでも、チャチャイ首相(当時)はクーデター発生から2週間、自宅軟禁こそ余儀なくさせられるが、その後は軟禁を解かれ政界復帰を果たしている。本来、タイでは政権交代が起こっても、韓国のような前政権の徹底攻撃は皆無だった。それはクーデターによる政権打倒時でもそうだったのだ。

 そうした「武士の情け」にも似たタイの良き伝統ともいえる「政治的許容度」が、タクシン元首相に限っては皆無に等しかった。タクシン氏の財産が没収されただけでなく、タクシン派政党の愛国党には解党命令が出された。さらに、近代法に抵触する事後法を適用してまで、5年間におよぶ同党幹部111人の被選挙権剥奪処分が下されてもきた。

 こうした徹底した〝村八分〟方針に、タクシン氏は不公正と感じ、「タイの正義を取り戻す」情念を燃やしてきたのだ。しかも、その情念は暗殺の危険など覚悟の上だ。タクシン氏は「魂となっても戦う」と述べ、愛するポチャマン夫人を離縁してまで、政治活動継続のための原資となる財産を確保してきた。そうした経緯からして、リップサービスとしての「教壇生活」はあっても、最後まで政治活動を貫く方針だ。

 ただ政治家としてのキャリアは十分積んできたものの、東南アジアの分断工作に入っている中国への警戒心は薄いことが気がかりで、安全保障面での対応にやや不安が残る。

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