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野田政権に早くも黄信号

首相の「正心誠意」とは何か

党利に走らず胆識で遂行を

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野田佳彦首相

 野田佳彦新首相は9月13日、自らの政治哲学や政権構想、重要政策に対する姿勢などを盛り込んだ所信表明演説を行った。勝海舟の『氷川清話』から取った「正心誠意」を旨として「徹底的な議論と対話」を呼び掛けたが、これほど空々しい響きはなかった。

 何故なら、一方で、臨時国会の会期を4日間で閉じて本格的な議論はしないという議決を強行した上での表明だったからだ。結局、14日間の国会会期延長に追い込まれた首相は「逃げどじょう」とまで言われて非難されている。党内調整に指導力を発揮し、党利党略に走らず、胆識をもって重要政策を遂行していかなければ、政権運営は暗礁に乗り上げよう。

 「この歴史的な国難から日本を再生していくため、この国の持てる力の全てを結集しようではありませんか。閣僚は一丸となって職責を果たす。官僚は専門家として持てる力を最大限に発揮する。与野党は、徹底的な議論と対話によって懸命に一致点を見出す。政府も企業も個人も、全ての国民が心を合わせて、力を合わせて、この危機に立ち向かおうではありませんか」

 野田首相は所信表明演説でこう呼び掛けた。東日本大震災という歴史的な国難に際し、皆が一丸となって対処しなければ乗り越えられないという点では、共感が得られた。

 首相はさらに、「私は、この内閣の先頭に立ち、一人ひとりの国民の声に、心の叫びに、真摯に耳を澄まします。『正心誠意』、行動します。ただ国民のためを思い、目の前の危機の克服と宿年の課題の解決のために、愚直に一歩一歩、粘り強く、全力で取り組んでいく覚悟です」と語った。

 勝海舟の言う「正心誠意」とは、政治家であることの唯一の「秘訣」のことで、「道に依(よっ)て起ち、道に依(よっ)て座すれば、草莽(そうもう)の野民(やみん)でも、これに服従しないものはない筈だ」と海舟は『氷川清話』の中で説いている。

 「道」の重要性を強調したものではあるが、ではこの「道」とは何か。海舟はここでは具体的に示してはいない。だが、同書の中の「内政論」で語った徳川幕府の「民情に通じた政治」の在り方が、その「道」に通じるものであろう。つまり、民心を把握して実情に適応した政治を行うことである。そのために最も重視されるべきなのが、国民の代表である国会議員による国会審議のはずである。

 それなのに、野田首相は何故、国会をわずか4 日で閉幕させる挙に出たのか。「正心誠意で」、「与野党は、徹底的な議論と対話によって懸命に一致点を見出す」などと低姿勢を示しながら、同時に、審議を塞ぐ強硬手段に出るというのは言行不一致の極みである。

 所信表明演説の感想をマスコミに聞かれた自民党の小泉進次郎衆院議員が「会期4日で逃げる人からは何を聞いても心に響きません」と批判したのは当然だ。全野党も一斉に非難を強め、それがあまりに強烈に燃え上がったため、今後の与野党協議の扉をも封鎖してしまうと見た首相は、14日間延長して9月末まで延期するはめになったのである。

 逃げ、と言えば菅(直人)前首相もそうだった。自らの内閣を高杉晋作にちなんで「奇兵隊内閣」と命名したのだが、彼を尊敬する理由が「逃げ足が速かったから」と平然と語れるような最低の首相だった。そうならないためにも、軸足をしっかり固めて正面からの「徹底的な議論と対話」に臨まなければならない。

 そのために正すべき課題は多い。まずは政治姿勢だ。平野博文・民主党国対委員長が会期4日で国会を閉める理由を「不完全内閣で、十分な答弁ができないから」と漏らしたように、今回の閣僚の顔ぶれを見ると、不勉強で経験の浅い議員ばかりを集めた不適格人事だった。その事に賢明な国民は感づいている。

 そうなってしまった原因は、首相が分裂含みだった党の融和を念頭に置いた人事をしたからで、国民のことよりも、党と自らの政権の発足を優先したためだ。本来、その出発点から間違っている。だが、ひとたび組閣して出発した以上、短時間で民意を汲み取ることに閣僚一人ひとりが自覚して対処することだ。

 責任意識を強く持ち、命懸けで取り組む姿勢も求められる。首相が、書家で詩人の相田みつをの言葉を好み、「どじょうのように泥くさく、国民のために汗をかきたい」と覚悟を示すのはいいが、「つまづいたっていいじゃないか 人間だもの」(相田氏)という処世訓をそのまま国政の舞台に当てはめてしまうようでは困る。総理大臣という最高権力者には国家、国民の命運が掛かっているため、常に重たい責任が付いて回ることをはっきりと認識しなければならない。

 鳩山由紀夫、菅直人と民主党二代首相のような大言壮語を捨てて、確実に成し遂げなければならないことを選び出し、そこに集中することも大切だ。有言実行を重んじた孔子が「君子はその言のその行に過ぐるを恥ず」(論語)と語った如く、リーダーは言行一致、知行合一を重んじるべきである。

 勝海舟は『氷川清話』の中で、「正心誠意」のほかに、「誠心正意」の4文字も使っている。それは、「外交の極意」としてで、「胡麻(ごま)化しなどをやりかけると、かへって向ふから、こちらの弱点を見抜かれる」というものだ。明治維新前の対米交渉を例に「知ったことを知ったとして、知らぬ事を知らぬとし、誠心正意でもって、国家のために譲れないことは一歩も譲らず、折れ合ふべきことは、成るべく円滑に折れ合う」ことによる成功談を披露している。

 国連総会出席のため初訪米した野田首相は、オバマ米大統領と会談(9・21)するなど外交デビューを果たした。米紙ウォール・ストリート・ジャーナルとのインタビューでは首相は「カウンターパートがころころ変わるのは、信頼関係を維持していく上ではマイナスだったと思う」と語り、オバマ大統領就任以来、自分が4人目の首相であることを率直に述べたが、首脳会談では日米同盟の強化について明確に語ったのはよい。

 その一方で首相は自著『民主の敵』の中で、米国が08年に北朝鮮のテロ支援国家指定を解除したことに対し「日本を無視して解除に踏み切った。アメリカだからといって遠慮せずに、どんどん言わなければだめだ」とも語っているが、これは海舟の言う「誠心正意」の表れだと言えよう。

 こうした姿勢を維持することは必要だ。

 同様に、国益に直結している北方領土、尖閣諸島、竹島の領土問題についても、ロシア、中国、韓国に対して「一歩も譲れない」と主張しなければならない。ところが、所信表明演説は官僚の手抜き作文のレベルにとどまり、前政権と似て軟弱な姿勢を取り続けているのは問題であり改めるべきだ。

 9月21日、ニューヨークで行われた日露外相会談で北方領土問題に関する協議を「静かな環境で継続する」ことで一致したが、大統領をはじめ閣僚らの相次ぐ北方領土訪問により、協議に向かう環境を遠のけ、軍事拡張を一方的に行ってわが国の国益を損ない続けているのはロシア側である。そのことを、玄葉光一郎外相はラブロフ外相に強く抗議すべきではなかったか。

 最重要課題の一つであるエネルギー政策でも、具体策が全く見られない。「二〇三〇年までをにらんだエネルギー基本計画を白紙から見直し、来年の夏を目途に、新しい戦略と計画を打ち出す」とか「中長期的には、原発への依存度を可能な限り引き下げていく、という方向性を目指すべき」という具合だ。新エネルギー開発に向けた挑戦も期待されている。省エネルギーや再生可能エネルギーの最先端のモデルを世界に率先して築いていくための青写真も早く示してもらいたい。

 所信表明演説に対する各党の代表質問(9・14)で、自民党の谷垣禎一総裁が首相に求めた党綱領の策定についても真剣に考慮すべきだ。谷垣総裁は「(首相は)わが党や公明党との大連立を成し遂げたいと言っているが、綱領すらない政党は基礎的要件を欠いている。綱領を定める気はあるか」と迫ったのは当然である。これに対する首相の反応は「民主党は綱領として基本理念を届け出ている」というもので、策定への積極的な姿勢は見られなかった。

 民主党の「基本理念」といっても、それは政権獲得前の1998年に作成した簡単なもので、格調もなければ目指すべき具体的な国家像も書かれていない。

 実は、民主党が挙党態勢をなかなか構築できず、党内抗争から脱することが出来ない根本的な原因が「党の魂」とも言える綱領がないことにあると、すべての民主党議員が気付いていないようである。東日本大震災の復興財源をめぐる議論が混迷しているのも、もとはと言えば統一した綱領を掲げていないところにあるのだ。

 重要政策に対する指針を示せず、立党の原点を定められず、政治家としての「正心誠意」も、外交の極意としての「誠心正意」もないとすれば、政権の大義を見い出すことはできない。

 孔子は弟子に「政とは何か」と尋ねられ、「政とは正なり、子帥(ひき)いるに正を以てすれば、孰(たれ)か敢えて正しからざらん」と答えた。指導者が正しい心を持ち率先して行うことの重要性を語ったものだが、泥の中に逃げ込まずに、泥をかぶってでも成すべき重要課題を着実に成し遂げる気概をもって進むべきである。

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