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インタビュー 竹下亘衆院議員に聞く

循環型工法だった島根のたたら製鉄

 古事記に記された「─国譲(くにゆずり)の神話」のある出雲の国出身の竹下亘衆院議員に、その神話の真実と現代の課題を聞いた。竹下氏は、文化発祥の地・出雲を強調するとともに、農業、水産、エネルギー、公共事業という「近代を支えた4本の柱」がぐらついていることの問題点を指摘した。


picture 【プロフィール】たけした わたる 1946年11月3日生れ、島根県飯石郡掛合町(現・雲南市)出身。自由民主党衆議院議員(4期)、平成研究会事務総長。慶應義塾高等学校、慶應義塾大学経済学部卒。日本放送協会に入局。日本放送協会時代には経済畑で活動し、「NHKモーニングワイド」や「NHK経済マガジン」などで経済リポートや解説を務めた。日本放送協会を退職後、実兄・登の秘書を務める。2000年の第42回衆議院議員総選挙では引退を表明した元総理の竹下登氏に代わり、地盤を引き継いで島根県第2区から出馬し、初当選した。

──どのような「選挙区」ですか?

 日本文化発祥の地、です。

 我が国の文化の発祥が、我が「選挙区」には、随所に見られます。みっしりと詰まっているのです。このような土地柄は、他にない、と言えましょう。

──するとその歴史は太古から…

 そうです、古事記編纂が今からおよそ一三〇〇年前(!)です。我が「選挙区」は、古事記に中心的な形で記されています。

 例えば、『国譲の神話』。これは読んで字の如くですが、つまりは、大和朝廷と和平交渉とでもいうべきか、重大な話し合いをした上で、その結果、今の言葉で言うと祭祀権を我が「選挙区」である出雲が得た、となっているのです。

 つまり、神様の世界の中心は、出雲、ということとなったのです。一方、大和は、政治の中心、ということとした。これが、『国譲の神話』の骨格です。さらに発展していうと、政治と文化を分け合う、文字通り、国を譲る、ということとしたのです。ここに我が国の文化発祥の地は出雲、ということとなるわけです。

 文化発祥という意味合いで「選挙区」を眺め直してみると、象徴的遺産は、もう、そこここに見られるのです。

 出雲大社、これに説明の要はないかもしれません。

 太古より、こんな言葉が残されています。─雲太(うんた)和二(わに)京三(きょうさん)。この言葉に象徴されていますが、これは童謡にもなっているくらいですから、いわば民にも浸透していたわけです。

 この象徴的言葉の意味は、─雲太(うんた)というのは、出雲大社が一番、以下、─和二(わに)というのは、和、つまり大和が二番、そして、京三というのは、京都が三番、ということなんです。雲太の太、というのは、例えば我が国は長男を太郎と名付けるでしょう。一番最初の男子ということですね。ここで使われている太も同じで、一番ということなんです。

 さて、一体何が一番なのか? それは、木造建築物のことなんです。一番高い(一番威容を誇る)木造建築、ということなんですね。我が国における一番、ということはこと木造建築という点からいえば、世界一(の高さ)、ということだったはずです。

 その栄えある一番は、いうまでもなく出雲大社なんですね。和二は、東大寺、そして、京三は東寺ではないかというのがほぼ定説になっているようです。

──雲太、というのは、まさしく象徴的な言葉ですね。

 ええ、文化発祥の象徴としてここ以上の場所はないでしょう。

 何しろ、出雲大社には神様達のマンション(!)があるのですから。毎年、旧暦十月、今の11月(注・神無月〈かんなづき〉。ここ出雲地方では、この月のことを神在月〈かみありづき〉という。この月をこう呼ぶのはこの地方だけ。その謂われは、次に続く竹下氏の言葉に隠されている)に、全国の神様が出雲大社に集い、その一月、ひとしきり話し合う、いわば『神様サミット』がここ出雲大社で開かれるのです。そのために大社には他の寺社仏閣では見られない、神様用のマンションがあるのです。

 神様達が長期宿泊するマンションを要しているのはむろん、ここだけです。全国の神様だけでなく、海を渡った朝鮮半島の神様二人も同じ時に来られていました。『(神様)サミット』に参加されていたのです。

──朝鮮半島の神様もですか。はるばる海を渡って…

 そこで、大陸の文化を自然と受け入れてきたわけです。大陸の文化がスムーズに定着していった要因として、このサミットにもあるはずです。

 その証左もあるのです。

 それはたたら製鉄なんです。つまり、我が国で最初の製鉄所が我が選挙区にはあるんです。その製鉄技術は、中国から朝鮮半島を通って我が国に伝来してきたわけです。このことは恐らく、『神様サミット』に参加せられた二人の朝鮮の神様との関連もあると思われるのです。そうでないと、どうしてこの地(選挙区)に我が国最初の製鉄所ができたか、どうにも説明がつかないのです。

 鉄の原料は、砂鉄です。砂鉄は、この地で採取されます。その砂鉄を原料として、たたら製鉄は、いわゆる和鋼(わこう)を造りあげます。和鋼のなかでも、最もクオリティーの高い鋼、これを玉鋼(たまはがね)というのですが、たたら製鉄ではこの玉鋼を作っていたのです。

──玉鋼を、ですか?

 そうなんです。玉鋼は、日本刀の刃の部分に使われるのです。この玉鋼を使った日本刀は、最高のものとして扱われるわけです。日本刀として、最高、というわけです、切れ味から何から。

 この玉鋼なんですが、実は今に至っても、地元で引き継がれているのです。

 我が選挙区の安来(市)に、日立金属安来工場があります。ここで、玉鋼を継承しているのです。ただ、すべてが当時(奈良時代あたりと思われる)の技術、製法、品質をすべてそっくりそのまま継承しているわけではありません。ただ、当時のものにかなり肉薄していることは確かです。それだけ当時の玉鋼が、秘密の製法というか、現代でも解けない知恵によって造られていたのですね。

 この現代の玉鋼ですが、これはむろん、この工場でしか造ることができないのですが、この品質に目を付けたのが、ドイツの世界的に有名は刃物の街、ゾーリンゲンなんですね。ゾーリンゲンで造られる刃物は、(日立金属)安来工場の現代の玉鋼を主として造られているのです。

 世界に冠たる技術、それも古代から継承されている技術として、今も息づいているのです。私はここに何ともいえない歴史の壮大さを感じるのです。

──神話の世界における技術が現代の技術に結びついているのですね。

 こんな神話の悠久を感じさせる話は、まさに我が選挙区でしか聞けないはずです。『国引きの神話』、これは古事記だけではなく出雲風土記にも出ているんですが、ここにたたら製鉄の由来の真相が隠されているように思うのです。

 この『国引きの神話』というのは、朝鮮半島の一部を神様が文字通り、引いてきて、それが島根半島になった(とした)という話なんです。ダイナミックな話でとても興味深いのですが、私はこの神話とたたら製鉄との関連を考えました。これは、すなわち、中国より朝鮮半島を経て、〝技術力〟てきたのだな、と。この〝技術力〟のなかには、むろんのこと、〝人〟っているわけです。 『国引きの神話』は、つまり、『技術集団引きの神話』ということではなかったか。それが、たたら製鉄のこの地の定着となったのではなかったか。

 それはこのたたら製鉄が、灰吹法(はいびきほう)、なる方法を採っていることからも、推察できるのです。これは、やはり、中国から朝鮮半島経由で育まれてきた製鉄法なんですね。これは、『国引きの神話』とたれ育ったこの地、出雲、石見を熟知することにつながる。

 こんな素晴らしい教材が手を伸ばせばそこにあるのは、我が選挙区だけだと自負します。これは私自身の矜恃にもつながっている。

 私はこんな構想を持っているんです。

 子供達に、神話を自由に解釈、推理しよう、そんなことができる研修所を創ってみたい、という構想です。

 『君達は、神話の国で生まれ育った。その神話をどんな発想でもいいから、自分なりに考えてごらん』、こういって、一斉に考えさせることができるような、大勢の子供達が柔軟な頭でそんなことを考えられるような、そんな研修所を創ってみたい。

 神話にはむろんのことですが、答えなんてものはないのです。正解などない。だったら、どんな答えでもいいじゃないか、私も先程から私なりの神話の解釈を言わせてもらっています。この自由な解釈が、実は地元の誇りにつながるのです。

 神話が身近にあると言うことは、古代の祖先が投げかけてきたミステリーに挑戦するという、何とも言えない至福を自然と持っているということです。どんな推理小説にも叶わない壮麗なミステリーです。

 八岐(やまたの)大蛇(おろち)、出雲(いずも)の(の)阿国(おくに)。知らない人はいない様々な話はみんなわが「選挙区」に犇めいています。

 そうですね、ここで一つ、身近なところから、私の解釈を言ってみましょう。

 八岐大蛇は、斐伊川(ひいかわ)の上流(※現在の奥出雲町あたりといわれている)に住み着いていたわけですが、私は、この八岐大蛇は、実は、暴れ川のことだったのではないかと思っているんです。斐伊川は実際、暴れ川として顕著だったこともあるようで、源流から八つに分かれて、それが、やがては八岐大蛇という架空で伝説の怪物を生み出した。この話は、さらに先程からお話ししているたたら製鉄にも結びついていくのです。

 このように神話の解釈は止めどなく広がるのです。

 こういう話が、今も「選挙区」にはしっかり息づいているのです。

──そこにいて、古代ミステリーのまっただ中に浸かることができるわけですね。そんな「選挙区」内のお奨めの観光スポットなど教えてください。

 出雲大社は今、60年に一回の立て替え(遷宮)を行っています。来る平成25年にそれは完成するのですが、そのため普段で見られない、出雲大社の〝中〟を見られます。私も見せていただきました。

 まずは、出雲大社、ということですね。そうでなくとも、この国造りの礎は、いわゆるパワースポットとして、多くの人が訪れています。ただ、私はどうにも鈍感なのかなあ、そんなパワーがなかなか体感できないですが…(笑)。

 それと忘れてならないのは、ここ20数年の間に相次いで発見された遺跡です。ひとつは、荒神谷(こうじんだに)遺跡(いせき)。簸川郡斐川町。1984年から85年の発掘で発見、です。ここからは、なんと一カ所で358本(!)の銅剣が発掘されました。今まで見つかった銅剣を全部併せてもこの数にならないのです。どうしてここにそれだけの銅剣がまとまってあったのか、これはいまだに解明されていません。

 もうひとつあります。加茂(かも)岩倉(いわくら)遺跡(いせき)、雲南市加茂町。1996年に発見がそれなんですが、ここでは銅鐸が39も出てきたのです。これもその理由は解明されていません。

 これは大変な発見で、いずれも国の史跡になっていますが、ここ20数年の間にこれだけの遺跡が発見されるということはいまだかつてないことなのです。

 またまた壮大な歴史ミステリーが登場したわけですが、私は、これらの遺跡から大変な豪族というか、ものすごい勢力を持った人物がこの地にかつて君臨していたのではないかと思うのです。その人物は誰だったか。なんとも胸ときめかせる話ではないですか。

 先ほどお話しした『国譲の神話』で古事記にも登場する稲佐の浜、斐伊川(ひいかわ)にかかる神立橋、これらはすべて神様に直接結びつく場所です。いずれも神話の世界にタイムスリップできる場所ですね。

──この神話の土地から政治家として立った原点、その思いをお聞かせください。

 私が政治家になったきっかけというか理由というのは、〝不純〟です。兄(故・竹下登元首相)が急逝したからです。後継者として、私も急遽、(政治家として)立った。その意味で、あえて〝不純〟と言うのですが、実は、私は兄の秘書を長く務めていましたが、その時から(兄を)継ぐ者をもっと若い人に定めていたのです。急逝でなかったら、その人が順当に継いでいたかもしれません。しかし、運命はそうならなかった。不思議なものです。私は54歳で政治家になりました。

 しかし、これは偶然のように見えて、必然的だった、と感じるのです。運命としての必然ですね。

 それは、今の我が「選挙区」における悩みに直結する話だからです。

 選挙区における悩みは、これまでこの地を支えてきた4つの柱がいずれも落ち込んできている、というところにあるのです。それは、農業、水産業、エネルギー、それに公共工事、特に農業土木です。特にこの中で、エネルギー、それは炭なんですが、この分野がほとんどなくなってきています。

 この悩みを解消していくようにするのが私の政治家としての役割だと考えます。急遽、後継したといえども、この悩みの解消は喫緊の課題なのです。これが私の政治家としての原点となったわけです。

 原点ということで投影させれば、ここは私が生まれ育った場所であり、後継した兄の原点でもあります。もちろん政治家としての原点にもなったのですが、かつて兄は、『ふるさと創生』を打ち出しました。

 それは、まずは、原点である家族を愛し、それがふるさとを愛することにつながる、そしてやがてそれが国を愛することになり、ひいては世界愛に到着する、こうした理念から生まれたものなのです。

 この理念が今の私に脈々と受け継がれています。ああ、私の政治家としての原点はここにあったじゃないか!

 この神話の浸る地域を愛する、愛するが故に悩みの解消を政治家の原点とす、兄の急逝から地盤を継いだことはいかにも偶然のように見えますが、実は必然というのは、ここ「選挙区」が教えてくれていたのです。

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