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「歌舞伎町駈けこみ寺」

主宰者 玄 秀盛 氏

不治の病が人生の転機に 新宿に小さなオアシス

 砂漠にも川が流れている。さらさら波をたてて流れるものではなくて、砂の下を流れている伏流が砂漠の川だ。新宿の歌舞伎町もそういう川が流れている。万艦飾のようなネオンサインに彩られた東アジア最大の歓楽街としての華やかな表の顔と、その裏で流れ続けているのが女の涙だ。表からは決して見えない歌舞伎町の伏流だ。

 やくざに追われたり風俗店や飲食店で過酷な労働を強いられている女性、借金をかたにパスポートを取り上げられたまま苦役のような不法就労を強いられた不法滞在外国人など──泣いているのは決まって社会的弱者だ。

 玄秀盛さんは10年前から、そうした歌舞伎町で駆け込み寺を運営している。駆け込み寺である以上、すべての人間を受け入れる。DV(家庭内暴力)被害者が逃げてきたり、薬物依存の人が駆け込んでくることもある。そうしたら必ず、親や友人、加害者が全国からやってくる。ヤクザやアウトロー系も多い。正月だけは休むがほぼ一年中、午前10時から午後10時まで駆け込み寺のドアは開いたままだ。

 「息子が墨彫った」と母親が相談に来たこともある。暴力団の準構成員となると、暴力団かどうか判別が分かりにくくなる。

 玄さんの生れは、大阪のドヤ街がある西成のあいりん地区だった。だから、どういう人とも違和感なく付き合える。周りがそういう環境だったから暴力団とは、一切背を向けずにやってきた。だから格闘や対処の仕方は、体で覚えている。

 玄さんがマスクをつけて町を歩くと、必ずといっていいほど警察官の職質を受けたものだ。

 近年、東京でヤクザ関係者が増えている。それは西の人間がどんどん上がっているからだと言う。これまで西の方が締め付けが厳しく、食べていけなくなったヤクザが続出している。

 だからヤクザも困り果ててくる。力のある人間はどういう状況でもやっていけるものだが、惨めなのは底辺の弱い人間たちだ。暴力団排除条例で、キャッシュカードの再発行というのはまず不可能だし、口座が開けない。それで、公共料金が口座引き落としの格好で払えない。賃貸住宅も更新ができない。代わりに親がやったら、偽装扱いにされる。歌舞伎町では街娼があちこちに立っているが、ショバ代は1000円、2000円と上昇している。ヤクザをやめるより転げ落ちていくのが多い。

 組から破門されたといっても警察は偽装扱いだ。半年見ないと分からないと言う。まじめな人間までも、こうした態度でひとくくりにされる。

 指がないと欠損人間ということになる。いったん、そういうレッテルを張られると、世間でまじめにやっていくことは途端に難しくなる。

 今では、ヤクザでないことを証明するビジネスが出てきた。一件5万円から10万円というものだ。

 どこまで追い込まれているかというと、2年間、ヤクザだった過去を隠し続けても、社員旅行で入れ物が分かる。それだけで首だ。この2年間、汗水流して一生懸命にやっても容赦がない。

 ヤクザが心を入れ替えて、まともに働こうと思っても、世間の受け皿がないとできない。だから普通じゃない3K職場に行かざるを得ない。新聞配達などがそうだ。それでも仕事があるうちはまだいい。そこでも難しいと結局、クスリと売春稼業に走るようになる。盗品売買は足がつくから基本的にやらない。

 さらに暴対法改正で法的網が一層厳しくなると、ヤクザは地下に潜ってえぐいことが始まることになると玄さんは言う。

 こういう人たちは、まずばれるから身元は明かさない。偽名でしか世の中、生きていけなくなる。犯罪者集団というのは大体、ニックネームで働いているものだ。類は類を呼んで集まるから、マフィアのような地下組織が徒党を組むようになるというのだ。

 玄さんの資産は、体が発する気にある。幾多の修羅場を潜り抜けてきたことからくるものだ。

 暴力団だヤクザだといっても、車のトランクに詰められ六甲山まで連れていかれ丘の上から投げ落とされたこともある玄さんにかなう相手ではなかった。

 「お前ら、小学校からやっとんのか」

 ヤクザにからかまれると、玄さんはいつもこう切り返した。高校を出て暴走族上がりがヤクザになったのとでは、修羅場の場数が違っていた。

 なぜ暴力団に入るかといえば、弱いからだと玄さんは言う。弱いから徒党を組むし大声を出す。腕や背中に彫り物をしなければ虚勢さえ張れない。その彫り物のせいで、皮膚呼吸できないから耐久力もないという。

 だが時に、玄さん本人だけでなく、家族にも手を出すバカがいた。その時、玄さんは容赦なかった。

 翌日には、玄さんはダンプのハンドルを握って、組が経営している飲食店に突っ込んでいった。

 突っ込み方はいつも、後ろからだ。「わあ、ブレーキとアクセル間違うた」

 これですべてうまくいった。これだと事故扱いで保険が降りるから、店の賠償金で経営が悪化することはない。

 ただ相手をけん制するのにこれ以上の手はなかった。

 あこぎな商売にも手を染め3年でビル一棟を建てた。やり口はこうだ。何十人もの人夫を10日契約で確保し、建築現場に1日1万円で送り出す。元受とは1人1万5千円で契約している。だが気の弱そうな人夫をターゲットに選ぶと8日目あたりに手下がいびり出す。いびり出す理由は何でもよかった。

 「お前、気に入らん」といってどつき回したり、寝顔に小便をひっかけたりもした。「カモ」になった人夫は大体が逃げ出す。契約は10日丸々働いて10万円だから途中で逃げだせばゼロだ。こうして15万円の丸儲けという泥棒のような商売だった。

 アブク銭を貯め込んだ玄さんに転機が訪れた。

 ある時、献血した玄さんにデータが送られてきた。そこには「HTLV─1」と記されていた。それを玄さんはHIVと勘違いした。ちょうど股関節が痛んで、歩けないほどだったから、それもHIVのせいだと思い込んだ。それで間近かに迫った死と直面するようになった。

 ところが数日後、血液検査の結果をよく見たらHIVではなくHTLV─1、つまり白血病と分かった。千人にひとりが発症し、発症すれば1年以内に死ぬ。それで玄さんは「自分の人生、何やったのかな」と考えるようになった頃、新宿の紀伊国屋書店で「NPO」「ボランティア」という文字が心に突き刺さった。それで「ここでは女性や子供がたぶらかされてるけど、たぶん誰も起こっているトラブルを処理できないだろう」と思った。でも、自分はこれまで実業も裏社会も歩いてきたし、トラブル処理は朝飯前だ。自分が生きた証に自分のできることをやろうと、今の駆け込み寺につながるボランティア活動を決心したと言う。 >

 不治の病は、「ほどほどにしときや」という天からのメッセージだったような気がする。それでも業に突き動かされて、今までのレールの上を走る人が多いものだが、玄さんがすごいのは素直にそれに従ったことだ。そして玄さんは、ようやく「自分が生きる場所」にめぐり合えたと感謝している。

 その恩恵を受け砂漠都市・新宿に、小さなオアシスが誕生した。

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