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政局と政治を峻別し漂流政治に終止符を

元参議院議員 村上正邦

 衆議院が11月16日に解散されて、衆院選挙の投開票が12月16日に決まりました。

 この選挙によって、3年4月の長きにわたった民主党政治に終止符が打たれることになるでしょう。

 といっても、政治の劣化には、歯止めがかかりそうもありません。

 それどころか、選挙と権力抗争、国家・国民のための政治の区別がつかない現在の情勢下では、この先、55年体制崩壊後の「失われた20年」を引きずる懸念が濃厚です。日本の政治が20年間にわたって停滞してきたのは、政治が国家や国民のためのものではなく、選挙と政権争いになってしまったからです。

 1993年、非自民党8党派、日本新党代表の細川護煕を首班とする細川内閣が成立して以来、日本の政治は20年にわたって権力抗争と政権維持のための連立工作に明け暮れ、そして現在は、15もの政党が選挙と政権争いに血眼になっています。

 米ソ冷戦構造が崩壊した1989年以降、世界的にナショナリズムや政治主義が強まり、国家・国民が総ぐるみで国力の増強につとめ、世界各国が経済規模を5~10倍に拡大させ、社会構造を改革させました。

 ところが、日本だけがゼロ成長と対米隷属という停滞にはまりこみ、明日への展望を見失っています。

国益見失った無法地帯

 細川連立政権誕生以後、20年間、政治の空白が続いてきたのは、バブル崩壊後、国力の増強どころか、政治改革(小選挙区・政党助成金制度)をへて、政党が権力抗争をくりひろげてきたからです。

 20年前の新党ブーム、現在の多党化は、野党の分裂化にほかならず、政府攻撃を専らとする小党がまとまって政権を握っても、国家や国民に対して責任のある政治を行えるはずはありません。

 与党の連立工作も然りで、旧社会党や公明党と組んだ自民党は、政権や選挙のために迎合と変節を重ね、与党としての責任をかなぐり捨て、ついに野党へ転落しました。

 かつて、日本が強かったのは政・財・官とも、国益のもとに心を一つにしてきたからです。

 55年体制も、その日本型システムの一つで、国益という大きな枠組みのなかで、与野党は、議会の一定のルールにしたがって切磋琢磨しながら国政の舵を握ってきました。

 ところが、現在、国会は国益という原則を忘れはてたノールールの無法地帯と化しています。あるのは、権力欲と政党エゴ、ご都合主義ばかりで、国益という大枠を失った政治家が、何でもありの抗争をくりひろげているのが現在の政治状況です。

 応仁の乱の騒乱期や戦国時代、日本の国力は著しく低下しました。政権争いが政治の中心になっているとき、どうして正しい政治が行われるでしょうか。

「国家の大義」なく政治劣化

 ノールールの抗争が、いま世間の耳目を集めている第3極です。第3極は、「太陽の党」を呑みこんだ「日本維新の会」の石原代表と橋下代表代行、「みんなの党」の渡辺氏が主流派で、「国民生活」の小沢氏と「大地」の鈴木氏、石原氏から梯子を外された「減税日本」の河村氏、「反TPP・脱原発・消費増税凍結を実現する党」を立ち上げた亀井前国民新党代表らが非主流を形成し、これに国民新党や社会民主党、新党改革、新党日本、みどりの風がからみあう星雲状態で、今後、求心力、遠心力がどう作用するか、予断を許されません。

 第3極構想は、石原氏が後釜を約束した橋下氏の協力を得て、日本の総理大臣を目指す権力ゲームで、小異を捨てて大同につくという美名の下で、政策すらが取引材料にされ、党の合従連衡も、志や政治信条ではなく、選挙状況を視野に入れたご都合主義によって仕切られています。

 日本の政治が劣化したのは、選挙や政局、政権争いという小義が、国家と国民のための政治という大義を放逐したからです。その結果、日本の政治は、バラマキと大衆迎合、対米従属と官僚依存の一色になってしまいました。

 原因の一つに、小選挙区・政党助成金制度をあげることができるでしょう。二大政党制を想定した小選挙区制では、当選者が一選挙区一人に限定されるため、劇場型選挙になって、当選してくるのはタレント候補や2世議員ばかりです。いかに志が高く、政治家として有能な者も、劇場型選挙では、世間的人気の高い者には歯が立ちません。政治家が国家観や歴史観、哲学を見失ったのは、立派な政治家であるよりも、有名であること、人気タレントであることのほうが選挙に当選しやすいからです。

 選挙区で最大得票を得なければ当選できない選挙制度では、政治家は、すべてのエネルギーを選挙に費やすようになるでしょうし、政党もまた、政治団体ではなく、選挙事務所にならざるを得ません。

 もう一つの原因は、政党助成金制度です。5人頭数が揃えば、国から政党の維持費が支給されるこの制度は、政治家や政党の自立性を害う保護制度で、これでは政党が有象無象の集団に堕することに歯止めがかかりません。一方、日本には、政党や政治家の行動やモラルを規定する政党法がありません。政党助成金法があって、政党法がないのは、法の欠陥です。

 国会が、政争の場と化して、政治および政治家が劣化したのは、自らを正すルールが不在なため、無軌道に陥っているからです。

 政治が、選挙と政局、政権争いだけのものになり、政党が助成金を得る手段になって、どうして政治家が国家の繁栄や国民の幸福のために命懸けで働けるでしょうか。

「一寸の虫にも五分の魂」

 政治は、10年、20年先を見据えて国家・国民に奉仕することです。ところが現在、政党も政治家も、党利党略、目先の利に目を奪われて、少しも先が見えていません。

 第3極のなかで、遅れてきた亀井さんは反TPP・脱原発・消費増税凍結という政策を鮮明に打ち出して、一貫した政治姿勢を示しました。くっついたり離れたりしながら、国益も政策もそっちのけの第3極のなかにあって、政治姿勢と政策を明快に打ちだした姿勢に、一筋の光明を見たように思ったのは、私だけではないでしょう。

 人は詭弁やごまかしに屈しない気高さをもっている。

 「一寸の虫にも五分の魂」があると言う。

 自分の生きざまによってその事を知らしめたい。

 そのゆえに、命の火を燃やし、幽魂の戦いを続けていきたい。

 人生は戦うことだ、勝つことだ、そして死ぬことだ。

              合掌

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