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安倍首相のASEAN外交

強権国家・中国をけん制

連衡に動く中国、合従策の日本

 安倍晋三首相は1月16日から3日間、東南アジア諸国連合(ASEAN)の盟主的存在であるインドネシアや中核国家タイ、ベトナムの3カ国を歴訪し、安保を含む「戦略的パートナーシップ」強化で合意し、連携して富国強兵国家・中国と向き合う基本姿勢を鮮明に打ち出した。

 昨年の中国での反日暴動で火がついた中国進出企業の周辺国への工場分散化「チャイナプラス1」を推進するのには、ASEAN諸国は格好の候補地だ。そのためにも安倍首相の最初の外遊先に選ばれたのがASEANだったのは意義深い。

 靖國参拝問題で中国との関係がギクシャクした小泉首相の後を受け、首相に就任した先回の安倍首相の時、日中関係修復を目的に最初の外国訪問を中国に選定した経緯があるが、今回は南シナ海の西沙諸島領有権問題などで中国と対立するベトナムを最初の訪問国に選んだことの外交的知略は評価されてしかるべきだ。外交の指南役である谷内正太郎氏(元外務省事務次官)の初仕事だった。何より近年、ASEANをターゲットにした中国の南進工作は深まるばかりだ。

 中国は、総予算7000億円規模を投入する予定のラオスでの高速鉄道の建設計画を現地の懸念を考慮し一度引っ込めていたものの昨年、再開に動き出し、タイの高速鉄道建設プロジェクトやカンボジアへの投資にも積極的に動いている。またミャンマーへは、ダム建設こそ断念しているものの、ラオス同様の7000億円規模の巨額投資で同国西部のチャオピューから昆明までを結ぶパイプラインや道路、鉄道建設プロジェクトが進行中だ。何より日米の安保関係者に危機感を募らせたのは、昨年のASEAN外相会談だった。

 カンボジアで昨年7月に開催された会談では、懸案の「南シナ海」問題で中国の反転攻勢に押し戻され、共同声明すら断念せざるを得なかったからだ。

 ASEAN外相会議が共同声明の採択を断念するのは、約半世紀近い歴史の中で初めてのことだった。領有権争いで中国と対立するフィリピンやベトナムの主張を、中国から多額の投資や経済支援を受けている議長国カンボジアが押しとどめた格好だった。

 会議では昨年、中国とフィリピンの船舶が約2カ月にわたって一触即発の状態となった南シナ海のスカボロー礁(中国名・黄岩島)をめぐる対立について、フィリピンが具体的に明記すべきだと主張。また、ベトナムも排他的経済水域(EEZ)の尊重などを盛り込むよう求めたが、カンボジアは「領有権争いは2国間問題であり、ASEAN会議は紛争解決の法廷ではない」として中国側に立った判断を示し議長国の権限を最大限行使した。

 結局、ASEAN首脳会談での「南シナ海行動規範」合意への道は閉ざされた格好になったのだ。

 ASEANは2002年、領有権をめぐる紛争の平和的解決を目指し、敵対的行動を自制することを謳った「南シナ海行動宣言」では合意しているものの、これには法的拘束力がない。そのため南シナ海の自由航行を保障するため、法的拘束力のある「南シナ海行動規範」へと発展させたい意向がフィリピンやベトナムにはあるが、その目論見は10年たっても足踏みしたままだ。

 2010年7月、ハノイで開かれたASEAN地域フォーラムでは南シナ海問題が議題となり、「南シナ海行動宣言」を遵守し「南シナ海行動規範」へと発展させることへの支持を確認していたものの、危機感を強めた中国の札束攻勢で押し戻されているのだ。

 だが、中国が定めた1992年の領海法で「南シナ海」を自国領とした中国に、国際法にのっとり自由な航行を保障させることはASEANの利益のみならず、わが国の命綱となる重要な事柄だ。

 何より食料やエネルギー自給率が極端に低いわが国は、海外からの石油やガス、食料の輸入に頼っている。そのほとんどが海上輸送路を利用した流通によっている。

 いわばシーレーンが分断されることは、わが国の生命線が断たれることを意味する。

 その意味でも、ASEAN分断工作に入った中国をけん制するカードを持つことは、わが国が生き延びていく上で必須のものとなる。

 また首相は2月中にも訪米し、オバマ大統領と会談する予定だ。アジア回帰を国家戦略として打ち出した米国との同盟関係を強化するためにも、ASEANとの関係を確かなものにしていく努力を怠るわけにはいかない。とりわけ、2015年には経済だけでなく政治・安全保障などを含めた「ASEAN共同体」が発足する。そこにわが国が地歩を構築しておくことは大きな意味がある。

 想起されるのは、中国の戦国時代の戦略のひとつ「合従連衡」だ。春秋戦国時代、強大になりつつあった秦の周辺6カ国(韓、魏、趙、燕、楚、斉)は当初、「合従」策に動き、相互に結びあって協力し、秦の圧力を防ごうとしたものの、「連衡」策をとった秦に個別に同盟関係をもちかけられ連合を分断され合従策は破綻する。最終的に各国はすべて秦によって亡ぼされ、秦による天下統一が実現することとなった。

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