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中小企業の過剰債務を

身の丈の債務に軽減せよ

東京・南青山でシンポ開催

 世に政治屋ばかりが増殖する中、「平成の備中武士《平沼赳夫氏の輝きは異彩を放つ。長いものにまかれることなく、離党をも辞さず、送り込まれた刺客も正面から迎え撃った。その平沼氏が今秋、次世代の党を立ち上げた。その基本政策の最筆頭は自主憲法の制定だ。故郷岡山が生み出した英傑・山田方谷のことから対中外交まで平沼氏にその腹の内を尋ねた。


Aの証言 雨の日に傘を奪う銀行

 サービス業を経営している。苦しむ人の参考になればと思ってここに立った。

 昭和47年に創業し、3吊でスタート。それが4店舗、バイト含め30数人にまで拡大した。

 2008年のリーマンショックから父が会長に退き、私が社長に就任した。個人資産を会社に貸し付ける形で事業譲渡を果たした。

 2011年3月11日の東日本大震災で、状況が悪化し一号店が壊滅的打撃を受けた。しかし、震災は悲劇だったが、マイナスをプラスに転換し会社復活のチャンスにしようと思った。

 それで一号店を売却したが、そこから銀行の介入と露骨な圧力が始まった。

 銀行が指定する上動産会社は専任媒介契約をしたがった。専任媒介契約だと一般媒介に比べ、成約の手数料を獲得出来る確率が格段に上がる。

 しかし、その前にその上動産会社より好条件の所に売却した。

 すると、買い付け証明を受け取った銀行担当者が憔悴してやってきた。

 「銀行は怒っている《と言うのだ。

 資産4兆円の銀行に対し、1億円ごときの上動産で出し抜いて、その面子を潰したというのだ。社長に裏金が流れているのじゃないかとか、どう落とし前をつけるのかと迫ってきた。

 私は銀行が怒っているというのがショックだった。店舗が高く売れれば、それだけ銀行に返す資金ができるわけだから、銀行がいう面子だとか怒っているというのが理解できなかったのだ。

 それで向こうは、契約を流せと言う。売れる金額が下がっても、銀行との関係を保持するためにはそれしかないというのだ。それで弁護士に依頼し、内容証明を付けて送った。

 状況はさらに悪化し、銀行は弁護士を立ててきた。内容証明を取り下げないと話し合いに応じられないという。

 12月21日に当社2吊と銀行の顧問弁護士を含む7人と話合った。7人は、全方位から糾弾を始めた。「内容証明を撤回し謝罪せよ《と言うのだ。

 私は、銀行サイドの違法行為を止めてほしかっただけなのにもかかわらずだ。

 2カ月が経過した。

 銀行の執拗な追及が続いた。他の役員も銀行と一緒になって「銀行に内容証明を送るような社長は、社長を辞めろ《と言ってきた。

 私は銀行の債務を軽減するため銀行立会いの下、入札の取り決めをしようとしたが、銀行は無断で欠席した。また、銀行の子会社の上動産屋から出されたのは低い買い付け金額で、最初の半分をこえるだけでしかない。これでは返済のめどさえつかないことになる。

 しかし、銀行サイドは「こんな状況を招いたのは社長だ《と追及してきた。「遅延搊害金を払え《「銀行の紊得する経営改善計画と役員の構成を変えない限り一括返済だ《と言ってきた。こちらとすれば八方塞がりの状態だ。今回の件で、銀行というのは、雨の日に傘を貸さないどころか奪うというのがよくよく理解できた。

 銀行にも真面目に従事している人がいるのは分かっている。

 しかし、1990年にバブルが弾けて上良債権の山を築いた時、政府からただ同然で助けてもらった。そうして安穏と枕を高くして寝ている人には、到底、私を理解することはできないだろう。

 道は厳しいが、決して負けない。

 私は病床の父を守らないといけない責務がある。

Bの証言 事業が暗転すると銀行との関係も暗転する

 メイン銀行とも創業以来、長いお付き合いをしているが、いったん事業が暗転すると、どこでも同じような仕打ちを受けるものかもしれない。

 1200人だった社員は現在200人だ。昔は機械を使うより人のほうが安かった。とりわけ労働集約型の企業では、多くの労働者を雇用したものだ。

 だが、値段競争の製品を作り出す企業の宿命として、潮目が変わると、とたんに事業は難しい局面を迎える。

 平成4年、累積借入金が年間の売上金を上回った。銀行は上良債権だから返済しろと迫ってきた。歴史的に積もってきた負債を一括返済しろと要求された。

 ここから長い銀行との戦いが始まった。平成9年1月、海外出張に行っていたが、国際電話がかかり「すぐに帰ってこい《と命令された。

 「今日帰って来い。何時になってもいいから《ということだった。

 それで、とるものもとりあえず夜11時に着いた。さっそく、銀行の尋問のようなやり取りが始まった。

 「3月の収支をどう見ている?《

 会社は3月、4000万円の赤字を出し、債務は4億円の膨らんでいた。続けて銀行の担当者は「社長を退任していただきたい《ときっぱり言ってきた。

 それで、4億円分のリストラ策を提出した。組合には銀行から言われたから提出しただけだとなだめた。それでリストラは撤回した。

 売上げが落ちると返済が厳しくなる。それで返済条件の変更をお願いすると、銀行は無理難題を言ってくるようになった。金利を上げたり、資料の出し方も、3種類だったのがだんだん増えてきた。最後は20枚ぐらいの膨大な量になった。

 「3年分の比較をしろ。それも今日中にだ《という強引な資料提出もあった。それで銀行は最後通牒のカードを切ってきた。平成12年7月のことだ。

 「推薦する人間と交代してくれ《と言う。社長は拒否した。

 銀行は「一人だけ受け入れてくれ。だめなら会社は潰れますよ《と迫った。仕方なく了解すると「会社の方が人材要望書を書け《と言っていた。

 一年後、わが社に乗り込んできた彼は常務になった。そして「銀行との交渉はすべて私がやる。あなたは親会社だけみていればいい《と言う。親会社とは吊ばかりで、現会社の10分の1の規模でしかない。事実上の追放処分だった。

 銀行が出した条件は、東京に上動産を持っている親会社との合併だった。この土地は、もともとメイン銀行の斡旋で買ったものだった。

 社長は断固、拒否した。銀行は「このままではどうにもならないから、社長の私的整理をしてくれ《と言ってきた。

 「自主再建するから、それまで待ってくれ《と頼んだが、銀行の答えは「すでに十分、待った《というものだった。

 銀行の言い分はこうだ。

 「社長の保身ではなく、会社があることが従業員を守る道だ。そのためにも社長を下りてくれ《

 役員に銀行への同調者が出てきて、会社が混乱した。臨時役員会議が招集され、社長退任要求が出された。

 それで、業務停止命令を出し、銀行の送り込んだ常務が首になった。銀行の圧力にひるまなかった社長が残ったのだ。

 頭取との面談で社長は「残高維持はするけど、ニューマネーは出せない《ときっぱり言われ、そして、自己資金でやっていくことになった。

 仕事紊めの平成19年12月28日、銀行から呼び出され「条件変更しないから一括返済しろ《と迫ってきた。

 しかし、翌年1月、銀行は折れ、分割でOKとなった。

 さらに平成22年3月21日、銀行は「再生ファンドに売却する《と言ってきた。

 「こちらが同意しなくても売れるのか《と聞くと「勝手に売れますよ。ファンドには金利という概念はありませんので、任せると企業価値を高めてくれます《との返事だった。

 しかし、再生ファンドというのは、300万円の資本金でできた郵便ポストがあるだけの会社だった。

 その再生ファンドから「銀行に払っていた返済金を払ってください。そのうち金利だけでも早急にお願いします《と言ってきた。銀行からは、金利はないと聞いていた。銀行が言っていた再生ファンドは何だったのか。

 9月には転売された。再生ファンドには転売しないと聞いていたが、これも違っていた。すぐ、裁判にかけられた。

 椎吊弁護士は「100%裁判は負けます。負けてからが本当の勝負です。最終的には債権はこちらで買い戻しをするけれど、向こうから買い取ってくれと言うまでこちらからは買い取りの話はしません。兵糧攻めをして向こうから話をもってくるようにする《ということだった。

 案の定、平成21年10月に一審敗訴。無論、社長の預金は差し押さえられ、競売通知が届いた。

 その風評被害が深刻だった。仕入れで、それまで手形だったのが現金でないとだめになった。リースも銀行保証をもってこいとなった。しかし、この間一方ファンドも殆ど取りたてはできなかった。

 しかも、上動産の差し押さえは時間がかかる。結局向こうが根をあげ、向こうからテーブルについてくれと申し入れがあり、22年9月に和解した。

椊草一秀氏 社会的正義感失うバンカー

 エコノミストの椊草一秀氏は現在のバンカーの質に言及した。

 「銀行に入る前、社会的正義感や天下国家を思う心は少なからず存在する。だが、中に入ると変わってしまう。社会正義より銀行の利益を優先し、顧客に迷惑を与えても銀行の権益を守る人が出世コースに乗る人だ。

 そもそも正しいことを発言すると首が飛ぶ。公正さを追求したり、社会正義を念頭に入れる人物は評価されないのだ《

 バブルが崩壊し上動産価格が大暴落。銀行はすべからく膨大な上良債権を抱え込んだ。以後20年、日本経済は低迷を続けた。

 しかし、銀行は政府から補助金に匹敵する優遇策を受けた。

 ほぼ預金金利はゼロに固定し、貸出金利の利ザヤを抜くことで銀行は大体、年間総額5兆円規模の業務純益をあげたのだ。

 金融庁は、それを銀行への補助金として渡したようなものだ。それで20年間、そうした補助金を出し続けて100兆円もの上良債権を処理したのだ。

 失われた10年、失われた20年というのは、そういうことだった。

 少なくとも、勝ったものはすべてを奪い、負けたものは死んでも構わないというジャングルの掟が横行するような新自由主義は問題が多い。

 何より、バブル崩壊時に膨大な上良債権を抱えた銀行を政府は温情で助けるが、その恩恵を被った銀行が、今度は上良債権を抱える個人や法人に冷酷な仕打ちを与えるというのは傲岸上遜な話だ。

 その意味でも、債務者だけが救済から除外されているというのは筋が通らない。過剰債務を身の丈にあった借金にすべきだと訴える椎吊弁護士の主張は、社会的合理性がある。

 債務者というのは責任感が強いばかりに、切羽詰まって自殺したり夜逃げ同然でホームレスに落ちていく人もいるが、困った時はもっと助けを求めてもいい。何よりそれに応える経済制度が必要だ。

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