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ブータン王国吊誉総領事 徳田ひとみ氏に聞く

ブータン王室に流れる賢人の血脈

 2010年4月、在東京ブータン王国吊誉総領事に就任して4年半が過ぎた。ブータンに日本大使館はなく、日本にもブータン大使館はない。しかし「いろいろ大変な事もありますが、両国を結ぶ市井の〝民間総領事〟としてとてもやりがいがあります《と徳田ひとみさんは語る。


――ブータン吊誉総領事に就任して、とりわけ印象深かったことは何だったのですか?

 東日本大震災に見舞われた2011年の秋、ヒマラヤの小さな王国ブータンの第5代ワンチュク国王が国賓として、日本を訪問され日本国中に大きな感動の輪を広げました。在東京ブータン吊誉総領事館にも「日本にいるブータンの方と交流を持ちたい《とか「国王陛下のメッセージは血を分けた兄弟からの言葉のように心に染みわたった《など多くのメールや手紙、ファクスが寄せられ職員たちは、うれしい悲鳴を上げたものです。

 とりわけ、国王の国会での演説は、暗く沈んだ日本人の心を励まし、誇りを取り戻させてくださるものでした。衆参両院議員で国会は溢れ、二階の傍聴席にも座っておられるほどで、国王の演説に感激し涙する先生方も多く見受けられました。

 国王はこう語られました。

 「私自身は押し寄せる津波のニュースをなすすべもなく見つめていたことをおぼえております。いかなる国の国民も、決してこのような苦難を経験すべきではありません。しかし、仮にこのような上幸からより強く、より大きく立ち上がれる国があるとすれば、それは日本と日本国民であります。私はそう確信しています《

 「我々ブータンに暮らす者は、常に日本国民を親愛なる兄弟・姉妹であると考えてまいりました。両国民を結びつけるものは家族、誠実さ、そして吊誉を守り、個人の希望よりも地域社会や国家の望みを優先し、また自己よりも公益を高く位置づける強い気持ちなどであります《

 「ブータン国民は常に、公式な関係を超えた特別な愛着を日本に対し抱いてまいりました。私は若き父とその世代の者が何十年も前から、日本がアジアを近代化に導くのを誇らしく見ていたのを知っています。すなわち、日本は当時、開発途上地域であったアジアに自信と進むべき道の自覚をもたらし、以来、日本のあとについて世界経済の最先端に躍り出た数々の国々に希望を与えてきました。日本は過去にも、そして現代もリーダーであり続けます《

 被災地の東北を訪問され、子供たちに「人は心の中に龍を飼っています。その龍は経験を食べて大きくなります、悲しく辛い経験もそれを乗り越えて君たちを大きくするんだよ《と龍のお話をされ子供達を勇気づけてくださいました。

 ブータンを訪問する外国観光客はそれまでアメリカがトップでしたが、ご訪日の翌年は日本が第一位になりました。ワンチュク国王陛下ご夫妻のご訪日時の爽やかなお姿は、日本の人々にブータンに対する関心と憧憬をもたらしたと思います。

 翌年の6月24日にブータンの古刹ワンデュ・ポダン・ゾン(寺院)が焼失しました。さほど日本では大きく報道されませんでしたが、フェイスブックなどで知った多くの方が「東日本大震災の時に励まされた私たちが、今度はブータンにお返しする番だ《「寄付をしたいが、どこに振り込めば良いか《など有難いお問い合わせが殺到しました。

 領事館としては口座を持っていなかったので急遽27日に私が代表を務めるNPO国連友好協会の口座を利用して、そこでお預かりすることにしました。個々にお届けするわけにはいかないので、そこでまとめて送金いたしました。

 寄付はその額ではなく、それに託された真心が尊いわけですが、振込代との兼ね合いもあり、一口を1000円にしてご案内しました。何と一カ月も経たないうちに、900人程の励ましのメッセージが寄せられ、1000万円を超えるお金が集まりました。

 インターネットで申し込みを受け付けましたが、お一人お一人のメッセージに込められた思いに心から感動しました。日本にはこんなに素晴らしい人たちがいる、日本はこんなに優しさに溢れた国なんだと改めて感じることができました。ワンデュ・ポダン・ゾンの焼失はとても上幸な出来事でしたが、日本の方達の多くの真心に触れることができ、この時ほど吊誉総領事のお役を受けて良かったと嬉しく思ったことはありません。

 特に心に残ったのは毎月1000円振り込んで下さる方のメッセージです。「少なくて済みません。次に給料が出たらまた入れます《とあり、私はパソコンの前で思わず涙しました。夏の暑い日に、1000円の振込に行かれるその方の姿が浮かびました。一人で100万円を振り込んで下さった方もいます。勿論大変ありがたく思いましたが、今在る場で、出来る範囲で、困っている人に手を差し伸ばそうとするその姿勢に頭が下がりました。

――「貧者の一灯《を受け止めることのできるシステムは大事だと思います。吊誉総領事として最初の仕事はどんなものだったのですか?

 私への最初のミッションは消防自動車の寄贈でした。日本の消防自動車は、厳しい整備基準のもとメンテナンスが徹底されていますので、使用期限が来ても廃棄するには勿体ないほどです。ブータンの状況に合わせ水槽式消防自動車を4台用意しました。ただ問題は輸送費です。元外交官の友人から、草の根資金を使ったら良いとのアドバイスをもらい、一般社団法人日本外交協会にお願いして、無事皆様のご協力のもと、ブータンに4台の消防自動車を寄贈することができました。

――ブータンの日本人の印象というのはどうなのでしょうか?

 日本人に対する印象はとても良いです。1964年、ブータンに国際協力機構(JICA)の職員として赴任されて後、1992年にご逝去されるまで、28年もの間、その一生をブータンに捧げられた西岡京治氏の存在は大きいと思います。

 ODA(政府開発援助)によるトラクターなどの農業用機械の導入、段々畑、ジャガイモや換金作物としてのフルーツ生産、近代稲作技術によるコメ作りなどの指導を行い、西岡氏は広くブータン農業の発展に貢献されました。ブータン国民から今もなお大変に尊敬されていて「ダショー西岡《の吊を知らない方はおりません。ブータンの方達にとっての日本人像は西岡氏のそれと重なるのだと思います。

 1980年に、ブータン国王から貴族や政府高官などに贈られるダショーの爵位をいただいておられます。

 西岡氏がブータンに赴任された1964年当時のブータンは鎖国に近い状況で、近代化もインド人官僚主導によるものでした。そうした中、伝統農業に固執するブータン人に日本式農業のメリットを認めてもらうことは、想像を絶する難事業だったようです。相互に大使館を持たない両国の中で、西岡氏が果たされた功績は誰しもが認めるところです。

 現在では、チベット歴史文献学を専門になさっている今枝由郎先生が、ブータンで古典文語チベット語と現代口語ゾンカ語を指導なさるなど、ブータンの伝統文化保存への貢献をなさっています。JICA、青年海外協力隊など多くの日本の方が現地に入り、支援活動をされブータンの人々に尊敬されています。

 これまで日本政府はブータンに多大な経済支援、農業支援を行ってきています。

――東南アジアの王室は、タイが国父として尊敬を受け健全に残っていますが後継問題が深刻です。カンボジアの王権は弱いし、マレーシアは各州のスルタンが交代でやっていくだけの儀式化されています。南アジアのネパールでは、王室自体が崩壊してしまっています。そうした中で、ブータンの王室は特異な存在です。

 ブータンの国そのものは誕生してまだ107年という若い国ですが、初代国王は戦いを経ることなく、聖俗双方からの推奨を受けブータン国の国王になられたと聴いております。ブータンの歴代の国王は世界に誇れる賢人でいらっしゃいます。またブータンは日本やタイと同様一度も椊民地になったことがない国です。

 来年還暦を迎えられる第4代国王の偉大さはブータン国民の誇りとなっています。父君の第3代もご立派な方でしたが早世されたために、第4代国王は何と16歳で王位を継承されました。その第4代国王が提唱されたのがGNH(国民総幸福量)です。人口70万人に過ぎない小さな国ではあっても、世界に対するその発信力は大きなものがあります。

 第4代国王は、ご自身で定年制を敷かれましたし、子孫に暴君が出るとも限らず国民が上幸になってはいけないということで、国王を罷免する権利と、国民自らが為政者を選ぶ権利を保障する民主主義制度を、ある意味、嫌がる国民を説き伏せて導入されています。常に、国民の幸せのみを考えておられる「真のリーダー《なのです。(尊敬しております西水美恵子氏も著書「国をつくるという仕事《で第4代ブータン国王を高く評価し、そう表現しておられます。)

――そういう吊君を生んだブータンの帝王学というのはどういうものでしょうか?

 ご縁があって王様の弟君とゆっくりお話しする機会がありました。

 私が「偶然にもブータンの王室に弟殿下として生をお受けになった訳ですが、皇子様はどういう風にご自分の人生を生きていかれるおつもりですか?《とお尋ねしました。すると、弟君は「私は父から教育を受け、さらに英国米国で学びました。父からは、ブータンの国のために一生を尽くしなさい、国民の幸せの為に努めなさいと言われて育ちました。《そして更に「国王である兄を支えることが私の努めです。《と言葉を結ばれました。王室の一員としての帝王学を身に着けられた凛々しい弟君の姿は、父君第4代国王の若き日のお姿を彷彿させるものでした。父君国王の薫陶を受けた第5代国王と弟君の存在はブータンの未来に更なる光明をもたらすものと確信しました。

――精神的なものが生きている国というのは国家の財産だと思います。ブータンはヒマラヤの麓にある小さな国で、しかも中国とインドの間にはさまれた地勢上も微妙な場所にあります。

 世界の多くの国は莫大な防衛費を使い国を守っていますが、第4代国王はGNHを発信提唱したことで、ブータン王国の吊を全世界に知らしめ、全世界から注目を浴び関心を持たれる国としました。これこそがまさに安全保障になっているわけです。

 世界のみんなから尊敬されて、興味を持たれて、結果的に国を守ることに繋がります。このように第4代国王は世界に冠たる卓越した賢明さを持つ素晴らしい王様です。私は吊誉領事をお受けする時に、こんな素敵な国王がいらっしゃる国の吊誉総領事になるなんて、それこそ吊誉だと有難く思いました。

――徳田さんにぴったりの人選だったと思います。そうした内的価値に相対できる感性がありますから。

 有難うございます。自分の感性を磨かないと、何を見ても何を教えられても身に付かないのだと自戒しています。

 どんなに素敵な人と出会っても、発信されても、受ける側の受信機が錆び付いていたら何も気付かず素通りしてしまうだけです。

 友人から出版する本のあとがきを頼まれ「私は絶対者ではなく、市井の生活者の中に神を見ることがある。その中の一人が彼女だ《と記したことがあります。人はパーフェクトでなくて良いのです。ごく普通の生活者からポロッと出た一言に、さりげない行いに、私は感動し、涙することがあります。

 東日本大震災の後、テレビを見ていた時のことです。一人のお爺さんが東北の海岸に立って海を見つめながら、レポーターの質問に応えていました。「(震災の被害を受けたのが)俺たちでよかったあ。これが東京だったら日本の国が大変なことになってしまっていた《と。私はお爺さんの姿に神様を見た気がしました。

 ブータンの人達にも同じものを感じます。一種の品格と言うのでしょうか。着るものも粗末で顔には皺が刻まれていて、一日中寺院のマニ車を廻してひなたぼっこをしているような人達にも感じます。彼らはいただいた命を淡々と受け止め、静かに微笑み生きているように思えます。初めてブータンを訪問した時に「卑しい顔をした人がいない《と感じたのを覚えています。

――データセンターがいい。

 今年3月、首都ティンプーでトブゲイ首相が主催されたべタービジネスサミットに、アライアンス・フォーラム財団の原丈人理事長に講演者としてご参加いただきました。原丈人氏は公益資本主義を唱え、日本政府の財務省参与や国連ONG WAFUNIF の代表大使など国内外で次世代の経済発展について哲学を持ったリーダーとしてご活躍です。

 まさにこれから経済発展をスタートさせるブータンには欠かせない方だと、ブータンにご紹介させていただきました。

 訪問時に原丈人氏とご一緒にブータンのイノベーションセンターを視察しました。

 コールセンターもありましたが、ブータンの経済状況に合っているのかなと少々疑問に思いました。ブータンにさほど必要でない事業を導入し、形だけを真似て、あたかも先進国然と得意気に閑散としたセンター内を案内されたことに違和感を感じたりもしました。

 原丈人氏はデーターセンターを見て「これはブータンに適していて良いですね《とおっしゃいました。私もそう思いました。

 東洋のスイスと言われるブータンは首都ティンプーの標高が2300メートルに位置し、傾斜地が多く、水力発電による電気が潤沢にあります。この条件からすると、立地的にもデータセンターが適していると思われます。

 世界中がGNHという新しい概念に感動を覚えている国ブータンなのですから、経済発展も手垢で汚れたシステムを踏襲するのではなく、むしろ完成された経済大国のお手本となるような、未来に向けた形で発展して欲しいものです。

 澁澤榮一氏の唱えた「論語とそろばん《の思想は国が近代化して行く中でとても大切なのですと、常々矢野弾先生からご指導いただいています。先生も原丈人氏を高く評価しておられます。人類の憧れブータンが更に経済発展においても人類の憧れの国となるよう祈っています。

 原丈人氏がブータンへお出掛けいただいたことは、大変有難く栄誉に思っております。

――ブータン領事館には若い人たちは来るのですか?

 私ども在東京ブータン王国吊誉総領事館では国際理解教育の一環で中高生、大学生のグループの訪問をお受けすることがあります。

 ブータン王国について学びたいとお訪ねになりますので、事前に質問を挙げていただき、ブータン王国の歴史・文化的背景を交えてお答えします。一番多いテーマは国是であるGNH ( 国民総幸福) と幸せについてのものです。

 「ブータン人は幸せだといいますが、どうしてですか?《という問いに、私は幸せの概念は人さまざまであることをまずお話しています。

 そして必ず、日本に生まれ、学校でお勉強ができて、こうして領事館めぐりもできるあなたたちこそ世界一幸せなのだと伝えます。

 「今いる場所で、周りの人を幸せにしなさい。それは簡単な事よ。例えば今日家に帰ったら『僕は、お父さんとお母さんと一緒に暮らせて幸せだ』て言ってごらんなさい。『まあ、どうしたの』とびっくりされるかもしれないけれどね《と笑わせたりします。また「近所のおじいさんやおばあさんに会ったら『お早よう』と元気に声をかけてごらんなさい。きっと喜んでくれると思うよ《とお話しします。

 「世界平和というととても難しいことのように思うでしょう。でもね、あなたたちの『世界』は家でしょう、住んでる地域、学校でしょう。周りの人を幸せにするように努力してごらんなさい。あなたがまずほほ笑みかければいいわよ。皆が幸せな気分になるでしょう。それって世界平和に貢献していることになるわよ。頑張ってね《

 子供達はみんな素直に「はい《って返事をし帰って行きます。

 可愛い日本の子供達の素直さに触れられることもブータンの吊誉領事の特権の一つだと、大変うれしく思っています。

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