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なりふり構わぬ小沢一郎氏の零落

 年の瀬も迫った昨年12月27日の各紙政治面のベタ記事や小さな囲み記事が目を引いた。小沢一郎氏の生活の党に山本太郎氏が加わって、「生活の党と山本太郎となかまたち」という新たな政党が出来たというのだ。

 生活の党は、先の総選挙で当選者が2人にとどまり、衆参合わせての国会議員が4人になり、政党条件を失っていたが、山本氏の駆け込み参入で政党交付金を受け取れることになった。

 いわば小沢氏は生き残りのため、なりふり構わず夜の繁華街の呼び込み屋よろしく山本氏の袖を引いたのだ。

 およそ政策や志とは関係がない守銭奴そのもので、政党交付金目当ての数合わせのためだけの野合だった。

 教養と武士道精神を持ったステーツマンなら恥ずかしくてできない恥も外聞もかなぐり捨てて、政治屋稼業にしがみつく小沢氏の零落に哀しみを覚える人は少なくないはずだ。

 そもそも政党交付金制度は、政権党の金権体質を清算するため、小選挙区制度を導入し、政党交付金を付与して、金がまとわりつく政治風土の浄化を図ろうというものだった。小沢氏は、この一連の改正作業の中心にいたが、自らは政治活動の手法を全く変えるどころか、ますますのめり込んでいった経緯がある。

 田中角栄氏が、党の金も自分の金もふんだんに使ったのに対し、小沢氏は、身銭を切らず政党交付金を握ることで、大派閥を形成し維持してきた。

 小沢氏は新進党を解散し、自由党を分裂させ、民主党に転がり込んで母屋を取った。その手口は、党の金を握って小沢チルドレンと呼ばれた傘下議員を増やすというものだった。

 また小沢氏は、国会議員など600人を引き連れて訪中し、屈辱的な朝貢外交を展開した。正義のために力も金も投入するというのではなく、力と金に執着し自分に都合の悪いことは黙る、相手がひるむと恫喝するという小沢氏の流儀は、そもそも人の道からは程遠い。

 かつて江藤淳氏が小沢氏に「帰郷のすすめ」を説いたことがあった。さらに先の裁判の判決が出たのを機に、評論家の屋山太郎氏は「『無罪』を引退の花道に」と勧告したのもむべなるかなだ。

 同じ27日の夕刊には「年俸21億円蹴り広島復帰」と米大リーグのヤンキーズ投手だった黒田博氏の移籍が報じられた。同じ党首でも、こちらの投手の方が、よほどか人としての度量は大きい。

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