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―日本新秩序へ― 松田まなぶの国力倍増論

第1回 保守政治の経済政策とアベノミクス

 松田政策研究所代表 前衆議院議員松田 学

民主主義の死

 今、日本は政治を失っている。安定度を強める安倍政権は、あらゆる対立軸を巧みに取り込み、与野党間での政治上の選択肢が国民には見えなくなっている。それが国政選挙での低投票率、地方選での立候補者数の激減につながった。

 確かに、政界が長年にわたり課題先送りを続けてきた日本では、どの政党が政権をとっても最低限必要な課題解決のために安定政権の樹立が望まれた。しかし、例えば国家存続に必要な財政再建は、将来、日本をどの程度の水準の消費税率の国にするのかの合意形成なくして不可能な課題だ。それは日本がいかなるタイプの超高齢化社会を目指すのかに係る究極の国民選択を要するテーマである。未来の日本を選択する国民の営みなくして課題の根本解決はない。

 重要課題への弥縫策的対応を刹那的なアベノミクスが糊塗することで政権自体は安定が続けば、それは日本の民主主義の死かもしれない。必要なのは、未来を競い合う本来の政党政治を機能させ、選択肢のある政治へと対立軸を再構築することである。

 では、今の安倍政権が保守の立場だとすれば、それと対置される革新(リベラル)とは異なる「保守」とは、そもそも何なのか。

 まず、この点が明確ではない。昨年11月の衆院解散で中断しているが、筆者が衆議院議員として二年間、取り組んでいたのは、保守の理念を具体的な政策体系に落とし込む営みだった。それは、「保守」とは国民に何をもたらす立場なのか、経済運営や社会保障改革、地域再生など国民に身近な政策は、保守の理念のもとにどう特徴づけられるのか、その結果、日本は未来においてどのような国になるのかを組み立てる作業だった。

アベノミクス、実体経済に未だ成果なし

 アベノミクス自体が、果たして保守主義に立った経済政策なのかも疑問である。保守が「自立」を掲げるなら、それは政策に頼らない経済と人々の姿勢をつくる経済政策でなければならないが、円安と力づくでの超低金利に頼った株高景気は、自立型の景気パターンとは言い難い。

 そもそもアベノミクスは日本の実体経済の改善に未だ成果を挙げていない。唯一の成果である円安・株高が経済成長率を高める効果は、政権誕生後の最初の半年間(一三年前半)で途切れ、そのあとから日本経済は停滞を続けてきた。停滞は何も消費増税で始まったものではない。暦年ベースの実質経済成長率の数字も、実は、経済が大震災の打撃を受けた民主党政権時に比べても、総じて低いのである。

 円安効果への期待もほどほどにすべきだろう。1ドル八〇円から一二〇円になれば、日本は五割もチープな国になる。中国人の「爆買い」で潤っても、日本経済を一人当たり韓国並みの水準に落とした円安をさらに進行させてまで、目先の利益を追う経済は健全でない。基本的国力を反映しない為替レートに甘んじるのは、長期的な国力涵養には反するし、海外での有利運用の機会も制約する。外国勢によって美しい国土や優れた企業、技術など日本国が次々と買収されることも、保守政治が目指す「つよい国、ニッポン」に逆行する。

銀行の壁

 もう一つの「爆買い」が日銀による国債大量購入だ。この異次元緩和策も、本来の金融機能を抑圧し、「民から官へ」の資金の流れ(預金→銀行→日銀当座預金の「ブタ積み」→国債)で金融社会主義を強めている。日銀のバランスシートを2倍にしても、その割には市中マネーが増えない背景には、銀行という壁もある。自立思考によるリスクテイクを放棄して価値判断を担保価値と金融庁に依存する日本の銀行の体質は、他者依存型の大企業組織を中心とする戦後の日本経済全体の病理でもある。国際舞台での日本の「負け」にもつながってきた問題だ。これをもたらした政府のパターナリズム(父性主義)こそ脱却すべき「戦後レジーム」だが、経済界への賃上げ要請だけではない。アベノミクスの柱である産業競争力会議や国家戦略特区も、表向きは自立を標榜しても、実際には経済への国家介入強化の側面が強い。

TPPの位置づけ

 新自由主義とは異なる次元での「自由」という価値、次世代へと継続する国家という価値を尊重するのが保守の立場だろう。そこから導かれる経済の姿は、国家と民間とが明確に役割分担をして、政府は国家にしかできないこと、国家がやるべきことに国家主導で専心注力することだと考える。

 今さえよければ良いという刹那の発想は保守の立場ではない。円安も、成長を米国市場に依存する「戦後レジーム」下での国益だった。次世代に向けて日本の国のストーリーを描き、国家基盤の強化によって長期的に国力増大を図ることで経済を活性化する。そうした路線へと政策レジームをバージョンアップするのが、保守政治の役割だろう。日本経済の繁栄基盤をアジア太平洋地域へと拡大し、自ら戦略的投資国家と国際新秩序の主宰者たることを目指すことも、その要素になる。TPPの位置づけもそこにある。

独立自尊の精神

 議論の混乱は論壇にも見られる。あたかも、TPPと消費増税に反対し、公共事業拡大を主張しなければ保守ではないかのようだ。しかし、超高齢化社会の負議論の混乱は論壇にも見られる。あたかも、TPPと消費増税に反対し、公共事業拡大を主張しなければ保守ではないかのようだ。しかし、超高齢化社会の負担の大半を将来世代に依存するようでは、保守が標榜する独立自尊の精神に反するだろう。TPPは米国の陰謀だから恐いと逃げ回るようでは、中国が主宰するアジア太平洋秩序の形成に対抗できる強靭な戦略性は生まれない。話題のAIIB問題もそうだ。気概だけ叫んでいても、現実につじつまの合った政策体系が伴わなければ、強い国家は実現しない。近年の日本が直面する憂うべき事態も、世界の中での相対的な国力の全般的な低下が根本にある。

 筆者は昨年夏に「国力倍増論」(創芸社刊)を上梓し、「日本新秩序」を提唱した。ケインズの師であるアルフレッド・マーシャルはケンブリッジの学生たちをロンドンの貧民街に連れていき、「CoolHead, but Warm Heart(冷徹な頭脳を持つ一方で、暖かい心を)」と述べたとされる。いま、保守主義の経済政策を考える上で必要なのは、「Warm Heart,with Cool Head(愛国と憂国の熱き心に、冷徹な頭脳を)」かもしれない。本誌では、日本の経済再生の物語を連載していくこととしたい。

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