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松田まなぶの国力倍増論

第14回 もりかけ騒動と財務省改革を考える視点

松田政策研究所代表/ 東京大学大学院客員教授/ 元衆議院議員
松田 まなぶ

この法案は中身がスカスカですね …。筆者のこの質問を遮るように答弁に 立った安倍総理は、成長戦略の最大の柱、 国家戦略特区法案の意義について滔々と まくしたてた。加計学園問題が報道され るたびに思い出すのは、衆院内閣委員会 でのこの一幕だ。

加計問題でメディアや野党は   何を追及してきたのか
 世界的に民主主義の危機が叫ばれてい るが、エリートと大衆との間で社会の分 断が欧米ほどには深刻化していない日本 の場合、問題は、メディアが創る世論か もしれない。新聞発行部数もワイドショ ー番組の視聴率も他国を抜きん出ている 日本では、政局を決める最大の力はマス コミ報道である。興味本位の印象操作の 報道にもここぞとばかり飛びつく野党、 その中で物事の本質が見えないまま、報 道での印象で政党選択をするしかないの が日本の国民。特に加計問題は、国家戦 略特区制度の趣旨が国民に知られないまま、世論が空回りしてきたように思えて ならない。
 前述の国会でのやり取りは、もともと この制度には規制改革の中身がほとんど なく、政策決定過程に新しい手続きを持 ち込んだことが中身だったことが背景に ある。それは、各省庁や既得権益でガチ ガチの岩盤規制を崩すために、まさに総 理自らが改革の当事者となって先頭に立 つという手続きだった。「私自身がドリ ルの刃になって…」、総理のこの言葉に 世間は拍手を送り、日本経済への期待は 海外からも高まった。
 加計問題で言われた疑惑のほとんど は、実際にそれがあったとしても、この 制度の趣旨を体現した行為だったと考え てもおかしくないものばかりなのであ る。加計は「首相案件」になるべきもの だし、そもそもこの制度は、特定の業者 の特定の事業に着目して、国が業者や自 治体と一体となって、その実現のために はどうすべきかをテーラーメイドで考えるという建付けの制度だ。
 規制緩和を公平で普遍的な上から目線 で考えるよりも、個別事業の視点で進め たほうが鋭いドリルの刃になる、それが 法の設計思想だった。国権の最高機関が 議決した法制度を遵守することを批判す るのは、日本が法治国家たることを否定 することになりかねない。
 総理のリーダーシップは、多くの改革 派の人々が唱えていたことだった。官僚 組織のフィルターを通さずに総理大臣自 らが直接、実態を把握しなければ、本制 度のもとでそれは実現できない。総理秘 書官が関係者に何度も会うのは、むしろ必要なことだろう。
 特に、自治体の熱意はこの特区制度の 重要な要素だ。総理のツルの一声で物事 が決まるわけでもない。内閣府組織や民 間有識者が構成する委員会などが担うデ ュープロセスが定められている。そこに 「忖度」があったとしても、その内容の 合理性こそが問われるべきであり、肝心 なのは政策決定プロセスだ。それは公開 されており、国民は政策としての合理性 をチェックできる。理事長が総理の友人 であることがいけないことなのなら、人 脈の広い人は誰も総理になれなくなる。 加計問題が出てから、規制改革の推進役 のはずの国家 戦略特区制度 全体が足踏み してしまっ た。

真の「財務」 省への改革
 かたや、今、 世間に対しあ まりに話題を 提供し過ぎなのが天下の財務省だ。森友文書問題に続 き、前次官のセクハラ?疑惑と、信用失 墜が続く中で、筆者が出演した某経済討 論番組でも全体のトーンは「ウソつき財 務省」。財政の実態を悪く見せて、世論 や政治を消費増税へと誘導しているとし て、積極財政の立場に立つ論者たちが財 務省を厳しく糾弾する場になった。
 確かに、経済学の国際標準の議論で は、千兆円を超える国の債務も、政府と 日銀のバランスシートを連結させた「統 合政府」ベースでの政府の純債務でみれ ば、現状では百兆円あまりという議論に なる。ただ、それを言うのなら、財務省 の問題とは、 01 年に大蔵省の名が変更さ れた後も、未だに真の「財務」省へと脱 皮していないことにあるのではないか。
 実態は財務というよりも「経理省」だ ろう。どの会社でも経理部は収入と支出 の均衡を主張する立場だし、そういう部 局はどの組織にも必要だ。大事なのは、 その上に立って社長が決断を下すことで ある。もし、財務省の政策に問題があっ たなら、問われるべきはむしろ、政府の 経営に当たるべき政治の側の力量ではないか。安倍総理は消費増税の延期で社長 としての役割を果たしたが、そのために は衆議院を解散するしかなかったところ に、未だに日本の政治の力が弱いことが 示されている。
 もし財務省を本気で変えたいなら、役 所の設計を「経理」から、バランスシー トに基づいて資産負債戦略を遂行する 「財務」のプロへと再設計すべきであろ う。今の財務省には、とにかく借金はい けないと主張する立場しか与えられてい ない。これに対し、財務とはバランスシ ートであり、今は「ミソもクソも一緒」? に 60 年償還ルールを両者に適用している が、資産の裏付けのない赤字国債と資産 の裏付けのある建設国債とは明確に区分 した財政運営をするのが「財務」である。 建設国債も公共事業などだけでなく、将 来世代に有益な資産を形成するための投 資国債へと対象を広げ、そこに資産評価 を導入し、資産の価値や性格に応じて債 務を組み立てることで、メリハリある財 政運営が実現する。
 東日本大震災の復興財源は、財務省が 経理の立場から、ここぞとばかり「助け合い」を大義に復興増税へと走ったが、 災害復興は国債で賄うのが世界の常識と される。「財務」の立場で考えれば、百 年後の東北を建設するために今後百年に わたり、それによる受益を受ける各世代 が少しずつ負担を分かち合う百年償還国 債という発想もあり得たであろう。
 筆者は「財務」の発想のもとに、国の 一般会計を投資勘定と経常勘定と社会保 障勘定に分類して提示し、投資勘定では 積極財政を、経常勘定ではムダの削減を、 社会保障勘定では世代間の公平の度合い を国民に「見える化」する財政運営をす べきだと主張してきた。
 もちろん、財務省という省名が良いと 筆者は思わない。かつての「大蔵省」は 千四百年の伝統を誇る唯一の大和言葉の 官庁名であった。米国の外務省の省名が 本来は州の間の調整を担う国務省であ り、ドイツの外務省の名がワイマール共 和国時の特殊な名前のままであることを みても、どの国も、官庁の名称は自国の 歴史や国の成り立ちを重視している。い とも簡単に改名を許した日本人の国家意 識の欠如が問われてもおかしくないだろう。
 しかし、もう元に戻らないのなら、こ の際、「財務」の名にふさわしい官庁へ と組織の設計思想を変更してはどうか。 財務官僚たちの信念がそのまま国益にな るような仕組みを組み立てる改革にこそ 答えがある。人間は一つの仕組みのもと で、それに適合した行動を合理的に選択 する存在である。
 国民もメディアも単に官僚を批判する だけなら、それこそ「お上」への甘え、 官僚依存だろう。財務省を国家機能とし ての「公器」へと蘇生させられるような 有為な政治家が選挙で選ばれるなら、そ れは立派な国民主権の行使になる。
 いずれにしても、人口減少という深刻 な問題を抱え、国際競争力も中国の後塵 を拝しかねない日本は、一人当たり生産 性を高める施策に必死で取り組まねばな らないはずである。しかし、スキャンダ ル追及にしか党利党略の知恵が野党には ないためか、政治が真正面からこれに向 き合っている姿は見えてこない。これこ そ日本の危機であろう。

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